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マッキンリー気象観測・前編

ウィンデーコーナー、嵐の咆吟

  第九次登山隊長 大蔵喜福

 雨のタルキートナで2日間フライト待ちをした。今年は入山を10日ほど早めたが、春の不安定な気候は5月一杯まで長引いていた。古い友人となったレンジャーのロジャーは「悪天続きでマッキンリーの登頂率は二割」と言ったが、すぐ「お前さんがくると天気はよくなる」と笑顔を向けた。

 6月2日、行動初日、カヒルトナ氷河の2230メートル地点へ、久しぶりに一日晴れた。氷河をはさむ山稜からは不気味な轟音を響かせて、大規模な雪崩がいくつも落ちた。早めにキャンプを設置し、疲れを癒す。
10ポンドのステーキを平らげる隊員たちを見て安堵したが、マッキンリー頂稜は幾重にも重なった不気味な笠雲に覆われ気が重い。5200メートル地点で女性が滑落し、死亡したと聞いた。

 翌日、不安定な天気の中、3350メートルのデポキャンプヘ移動。
 6月4日、雲行きが悪く午後1時まで停滞。メディカルキャンプ(BC)への荷揚げを、順化を兼ねウィンデーコーナーの荷揚げに変更する。
デボに戻ると頭痛の隊員が続出した。それでも食欲が落ちないのは若さ故か。30代のH隊員だけが食欲がない。39.4度の熱に驚く。水分不足で熱中症にかかった。意外と怖い患いなので介護に休む暇もない。

 不安定な天候は停滞を続けさせる要因だが、お天気が悪いといって休んでいては登頂はおぼつかない。現に時間切れで止むなく下っていくパーティーを何組も見ている。

 行動4日目はBC(4330メートル)への移動日。悪天でも行動することを前日に指示しておいたので、皆の顔は一様に引き締まっていた。

 朝から風雪、気温マイナス10度C、風は毎秒30メートル前後。あまりの烈風に高度差300メートルほど登った凹地でビバーク態勢に入る。六人用のテントをどうにか立て、全員を押し込む。何しろテントが潰されそうだ。物凄い風と寒さを、膝を抱えバカ話でやり過ごす。ようやく発つ気になったのは風が緩んだ5時間後だった。

 収まったとはいえウィンデーコーナーでは、激流を一歩行くが如くで、息苦しさと強烈な寒気が襲う。形容しようのない烈風は、若い隊員たちには凄い体験であろう。とにかく誰も飛ばされずに午後9時、無事BCに着いた時はホッとした。脱力感がテント場をおそった。

 6月6日、行動5日目、強風雪で午後2時まで停滞。初めての休養日としたかったが、ウィンデーコーナーのデポ回収に向かうことにする。
Hは調子が戻らず休む。Mは頭痛がひどいから休ませようと考えたが、順化のために行きたいというので同行を許す。吹雪荒れる中、氷河を下りウィンデーコーナーヘ。風は昨日より強い秒速40メートルを超えている。そんな中、傾斜の強い水面のトラバースを強いられる。気を抜くと命の保証はない、そして相棒も巻き込む。

 男子が戻らないHとMを思うにつけ、この悪天を恨む。絶対高度だけでなく、台風並の気圧の変化が高度障害を助長させるからだ。
 Mは寒気と烈風に立ち向かう気力も失せてただ座り込むだけ。帰路を考えると連れて降りたことを後悔した。

 全員を叱咤し、吠える風に怒鳴りまくり、荷造りを急ぐよう指図し、悪魔の咆哮からどう抜け出すかばかりを考える。10キロほどの荷のソリが私の腰を吊り上げ、凧のように舞った。耐風姿勢は絶対に崩せない。

 自分の体重ほどの荷を担ぐことになってしまったE隊員は、□から泡を吹きつつ、あらん限りの力を出しきって抜けた。精神力だけ、限界を超えて立っているといった9人の抜け殻がBCにそろったのは、午後7時だった。

 全員の体調をそろえるために、その後2日間を休養に充てた。幸い降雪が続き得をした気になった。だが、N、MそしてAも不調を訴えた。半数の隊員が調子を落とした中で、元気のよいI隊員が、徐々に重度の高度障害に陥っていたのを私は知る由もなかった。

山640-1998/9


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