松本征夫
2007年12月1日の年次晩餐会で光栄な本賞を受賞した。同時に永年会員章をいただき、私としては二雨の喜びであった。受賞の業績は「崗日嗄布(カンリガルポ)山群の踏査と研究」としてある。対象になったのは擢歌書房から昨年4月に発行した『ヒマラヤの東 崗日嗄布山群踏査と探検史』(松本征夫・編著、辻和毅、渡部秀樹・著)である。
先輩からの教え
振り返ると、終戦直後に登り始めてから、山の先人や仲間たち、山岳図書から種々のことを学んだ。
とくに先輩たちの山や探検への思想や行動を私なりに受け止めての山行が、今回の受賞に結びついたと思っている。私を育みお世話になったすべての方に感謝するとともに、この喜びを分かちあいたい。
1995年前後、祖母・大崩山群や屋久島に集中したころ、加藤数功、立石敏雄両氏の指導を受け猟師を知ることになった。彼らと行動を共にすることもあり、山名、谷名を聞きとり、歩き方、泊まり方などを学習した。この方法が崗日嗄布山群の山名聞きとりとなった。1958年、横有恒氏の九重山行にお供した。そのおり「山を尊び山を愛し山と共に生く」の色紙をいただいた。氏の謙虚さ、山岳愛尊、自然との共存精神に感動し、当時、山岳保護運動に関係していた私には自信にもなった。
1965年、今西錦司氏らと数日間の山行を共にして、パイオニアワークや探検学を学んだ。そのころ、深田久弥氏に、その後吉沢一郎氏、諏訪多栄蔵氏から山岳地図や山峰同定について学んだ。また「真の登山家はよく読みよく登りよく書く」との示唆を受けた。
未踏の山群
以上の教訓を肝に銘じ、私の探検的登山と踏査はヒンズークシュ、南極(第16次越冬、福島岳登頂)、中国ほかに及んだ。中国では、横断山脈、唐古拉(タングラ)山脈(6621メートルの各拉丹冬峰初登頃など)、可可西里(ココシリ)山脈(ヘディンのオスカール峰を崗扎日と同定)、西城各地の踏査を重ねてきた。これらは5冊の単行本として出版し、公表した。
以上の諸踏査の延長として、2001年から本会福岡支部の崗日嗄布山行となった。私としては「青蔵高原・西域の踏査と研究」という大テーマの一環でもあった。この山行を05年まで毎年続けてまとめた単行本が、今回評価された。山群の踏査にあたっては、横断山脈研究会の中村保、斎藤惇生、平井一正各氏に情報や資料をいただいた。ご協力にお礼申しあげる。
崗日嗄布山群は総延長280キロあり、概要は受賞図書によりほぼ説明できたと思う。本書は「自然・人文編」「探検史編」の二部構成にして、多くの新知見を述べている。
山群には最高峰6882メートルの白日?(若尼峰、チョムボ)のほか6000メートル峰が約30座、5000メートル峰が160座ほどある。このうち山名があったのは10座ほどで、今回36座37新山名を解明し、これらを地図上に示した。ほかの150座ほどの山名は不明のままである。
山群への興味は単に山峰のみに限らず、探検すべき山域でもある。
とくに山群南側の崗日嗄布曲−崗日嗄布−崗日嗄布蔵布(江別塘)のコース、主稜を越える峠のスイラ(ラグン−シュワ)やチンドゥラ(江別塘−達興)、アタカンラの南側などは、1913年のベイリーとモースヘッド、1930年代のキングドン・ウォードやコールバックらの探検以降記録はない。
山群の山峰はすべて高峻山岳であり、これというピークはまったく登られていない。まさに未踏の秀峰・鋭峰が連立する憧憬の山域である。そのほかにも探究すべき自然や人文に関しての課題も多い。
近年ようやく注目されるようになった崗日嗄布山群であるが、今後ますます世界の登山家や探検家が入域するようになるだろう。