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古里駅は新築中で、今までの駅舎はコミュニティーセンターとして生まれ変わるという。変化の小さい奥多摩の町も徐々に変わりつつある。線路を渡って山に向かって進む。畑だったところに駐車場ができ、新しい家も立ち並んでいた。
コンクリートの階段を上って登山道を行く。21,22日と続けて雪が降ったものと思って来たのだが、昨日は雨だったらしい。電車の窓から見る景色に雪がないので、おかしいなと思ってはいたのだが…。
赤杭尾根に登りつき、しばらくタバコをふかす。尾根は川井まで延びているが、まだ歩いていないので近いうちに歩いてみたいと思う。ここからすぐに北面に入った。雪は多くなった。だがトレースされているのでスパッツはまだ要らない。
赤杭山に立ち寄り、しばらくヒノキや杉の木立の中を行くと、道は南面に移る。日当たりの良いところを見つけて昼食にした。
稜線から北面の山腹に入り小屋跡を過ぎると急登になった。今までよりも雪が白くなってきた。一本松のある尾根上に出て見上げると、木々の枝は雪の重みでたわみ、相当に降ったことを知る。雪面にストックを刺すと積雪は40cmを越えた。1000mから上は雪が降っていたことが分かる。ここでスパッツを着けた。雪山らしくなった。
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時折バサッと落ちる雪の音に首をすくめる。曲ヶ谷南峰に立つがガスが濃く、防火線につもる雪が10mほど先でガスと同化する。曲ヶ谷北峰もやはりガスの中だった。雪を蹴散らしながら東の肩へ下り、川苔山頂へ着いたのは14時50分だった。
ベンチの雪をどけ、コーヒーを飲んでいると青空が広がり、六ツ石山や蕎麦粒山、三ツドッケが見えてきた。写真を撮ろうとカメラを出したら、もう見えなくなっていた。再び見えてきたのできれいに見えるまで、としばらく待っていたら完全に隠れてしまった。したがって、山頂からの風景写真は無い。
下りは軽アイゼンを着けたが、爪が短いために雪の凍った部分まで届かず、舟井戸を越えて森林帯に入るまでよく滑った。16時半を過ぎて懐中電灯を点ける。ほの暗い灯りを頼りに鳩ノ巣に着いたのはちょうど18時だった。
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「幸ちゃん」で、山女魚の塩焼きで飲んでいると、先客の「鉄砲打ち」と名乗る私と同年輩と見える男が、「鹿か猪を見なかったかね」と話しかけてきた。私は桃の木平で出あった鉄砲打ちを思い出しながら、「赤杭尾根を登ってきたんだけれど、会わなかったね。以前六つ石ではよく鹿を見たけれどね」と答え、続けて「ここへ下る途中に切り倒した木がゴロゴロしていた。間伐だろうが」と言ってみた。彼は「ああ、息子が切ったんだ。間伐材は持ち出しても使いようが無くてね。あのまま腐らせるんだ」と言った。しばらく黙って飲んでいたが、彼は焼酎を注ぎ足すと「大丹波へは下らないんか」と聞いた。私はここぞとばかりに言った。「大丹波川の流れに沿って下るのが好きで、昔はよく歩いた。林道ができてからはつまらなくなって、ほとんど歩かなくなった。使いもしない林道をどうしてあんなに幅広く、しかも舗装までして作るんだろう。あちこちに林道が延びてからは、奥多摩に来る人も減ったはずだ。私の感じでは昔の半分以下だと思うよ」彼は焼酎を一口飲んで「外国から材木を輸入するようになって、林業は駄目になってしまった。林業をやるよりも、林道を作って補助金を貰うほうが実入りが良くてね」と言った。
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