96年同期会の頃に企画した山行が、何故か山遊会で最初の山行となる。参加者が少なく係りが車を出したので、当初心配した平地歩きは省くことができ楽な山行となった。
東武線太田駅前に集合した面々は何故か明るい笑顔。即車で移動を開始し、まず最初に木暮理太郎が四キロの道を通い昔は高等小学校だったと記録されていた東光寺を外部から見学。次ぎに菊祭りで賑あう大光院(通称・呑龍さま)はさすがに立派な寺で、まずは参拝を。さて金山はこの寺の右脇から登るのであるが、この低地からすでに山城の跡が見られる。徐々に高度を上げながらと言っても山頂で200メートルちょっとの山では時間を必要としない。ところが、この山は中世難攻不落の山城として著明なだけに、ルート途中にはかなりの跡が見られ、資料がないと気が付かずに通過してしまうだろう。幸いにして詳細な資料を持参したため、細かく見ながら尾根沿いに山頂を目指し歩く。城跡の一角にある物見櫓は近代的に作られていたが、上毛三山と浅間の展望が素晴らしく、からっ風に吹かれながらの展望は格別。早速平野氏は手作りの69カメラと赤外フィルムで撮影を開始。傍には二等三角点、そしてキレット状に見事に切れた深い堀、しかしながら発掘して手直しされた石垣には味気なさを感じ、頂上直下の日の池で行われていた八木節大会の音に閉口、頂上の神社に立てばマツタケを幕府に献上した時の再現行列と遭遇、山登りに来たのか、祭りを見に来たのか判らないありさまとなった。頂上直下では屋台が並び、金山から見える百名山の写真展まで開かれており、食事の場所を見付けるのに苦労するほどの混雑ぶりであった。
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