●決戦前日
何としても勝ちたい??。静岡の突先山山行を目前に控え、わたしは毎日、天気予報にかじりついていた。台風10号が北上中だった。予報では鹿児島か四国に上陸し、日本列島を縦断するのだという。たしかに中国大陸には高気圧があり、このまま真北に向かうことは考えられないが、本州を縦断するというのは、合点がいかなかった。
わたしのなかでは、たとえ雨であろうと9日の山行は決行するつもりだった。最初から、雨の王が山行に加わった時点で、9日の雨は予想されていたことだった。しかし、台風とは。恐るべし、雨の王、コヤマシゲオ。
予報ははずれることなく、7日には沖縄本島や奄美地域を暴風域に巻き込みながら北上、8日には進路を北東に変え、。夜には高知県の室戸に上陸した。そして予報士が描いた気象図には、たとえ進路を北寄りにとったところで、静岡の山は暴風域に入るようになっていた。
中止にすべきか??、迷いがなかったかと言えば嘘になる。8日の夜、テレビに映し出された激しい雨風のシーンを横目で見ながらザックを詰めていた。すでに不参加を連絡してきた人たちがいて、5人になる模様。わたしは台風の進路がそれないまでも、昼には通り過ぎるのではないかと考えていた。12時には北陸に来る。うまくいけば、頂上では台風一過の快晴を迎えられるはずだ。一番の問題は新幹線が動かないことだ。いつもより厳重なパッキングをし、装備を詰め込むと、もう2時だった。
●新幹線
突先山は、静岡市を流れる安倍川の支流、足久保川の源にある。標高1022メートルの山で、ハイキングコースになっている手軽な山である。近藤浩之氏(山遊会、静岡支部)に紹介され、初めて行く山でもあった。
5時起床。空は明るいが土砂降りだった。
「中止でしょう?」
妻が起きてきたが、わたしが行くことを告げるとあきれた顔をしていた。
6時10分前に家を出るとき、雨は止み薄日が差していた。幸先がいい。自転車で、中央線の東小金井駅に行く。駅員に聞くと中央線も東海道新幹線は通常通りだという。
さすがに電車は空いていた。外はまた雨が降り出していた。
7時に新幹線のホームに上がると、小山さんがニコニコと笑って立っていた。
「いやあ、だれも来ないんじゃないかと思って」
家を出たときも雨が強く、レインコートを着てびしょぬれになって来たのだという。恐るべし、雨の王。ホームはガランとし、新幹線も人気がなかった。すぐに電話が鳴った。菅原さんだった。最後尾の車両にいるらしい。われわれはそちらに移動することにした。ホームを横殴りの激しい雨が吹きつけていた。
「きょうは中止かと思っていましたよ。でもナガタさんとこかけたら留守電で、コヤマさんとこかけたら、もう出かけた、と言うんで、あわててきましたよ」
貸切状態の新幹線で一路静岡へ向かった。台風は四国を横断し、少し速度を落としながら兵庫県西宮市を北東に向かっていた。
●雨男
だれが雨男かという議論は、山遊会には昔からあった。それほど、雨にたたられた山行も多かった。日光の鳴虫山の山行ようにすでに伝説となった山行もある(『96同期会だより』第10号に掲載)。
大方の意見としては、コヤマシゲオが雨男ということになっていたが、五月の個人山行「夕日を見る会」では無事夕日を拝んでいるし、一旦雨で中止になった六月の読図山行では、雨を封じ込めて、本当の雨男は菅原紀彦だと放言するに及んでいる(『山遊会便り』第4号6ページ参照)。
しかし、菅原さんとわたしは、7月の岩手縦走の結果から、雨男はコヤマシゲオに間違いがないと断定するに至っていた。と言うのも、初日は雨で、「わたしと及川さんが組んだら雨」と言われていたが、翌日は晴れ。稲の発育が心配されたほどの日照不足の岩手にあって、久しぶりの快晴を引き起こしたのだ。菅原さんも一緒だった。そして、同時刻、目と鼻の先の会津駒ヶ岳に登ったコヤマシゲオグループは土砂降りの雨に見舞われていた。
彼は北海道は雨竜の出身、滝川高校を出ている。人生沢を歩いてきたとも言える。
わたしは、菅原さんに、酒の神か妖怪か、妖精かわからないが、酒が原紀彦が取り憑いているように、小山さんにもコヤマシゲオが取り憑いていると考えている。
突先山で晴れを迎えることで、その雨の神か妖怪かを断ち切れるのではないか。そのことで、山遊会の山行に好天を呼び寄せることができるのではないかと考えていた。コヤマシゲオとの対決。わたしは突先山をそう位置づけていた。
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