1月山行 初春山行/三浦富士行

日程 2005年1月15日(土) 雨
コース 津久井浜駅〜石地蔵〜三浦富士〜見晴台〜砲台山〜津久井浜駅
参加者 男性10名 女性6名
記録 木元 きよ

 昨夜からの雨の中、寒波による寒さと雪を気遣いつつ集合駅の津久井浜に早めに着く。
 まあ、静か!閑散とした改札口周辺を皆が揃うまで歩いてみる。鳥居が建っており、イチゴ狩りなどの案内板が目に付く。
 やがて到着の電車で山遊会の皆さんが揃い俄かに賑やかになった。一部の方は食事会に直行しようよ!と言っている。雨は小降りなので、山へ行ってほしい!と思っていると、係りが電話で問い合わせてみたが、昼食時間の変更は出来なかったこともあり、結局予定通り山へ。
 男性10名、女性6名。係りの山崎さんが参加出来なくなったので永田さんをリーダーに出発となる。
みんなの雨具や傘のカラフルな色が映える中、しばらくはアスファルトの道を川を左に見て歩く。民家の周辺はキャベツ畑やブロッコリー畑が続く。道が農道になり小さな鳥居に着いた。少し先の墓地を通り過ぎるとやがて登山道になり、黙々と歩く。足下の落葉がいい気分。
 常緑樹の茂る幅広い尾根道を行く。風が少し強くなり傘があおられるのを気遣いつつ、皆とお喋りしながら登って行く。進む先に階段が目に入り、一息に登ると、小さな石祠のある三浦富士山頂に着いた。時計を持っていなかった私はそばの方に、12時45分着と聞く。
 海向を眺めたが残念!何も見えない!
 足早に砲台山へ向かう。展望台らしきところを通ったが、ここでも景色は得られなかった。程なく電波塔が近くに建つ砲台山に到着。大きく円形に掘られた穴のところに、第二次大戦中に築かれた砲台の跡が残り何箇所も横穴が掘ってあった。
 武山には寄らず下山となり先ほどの展望台の所まで戻る。今度は眼下の景色や海が見渡せた。オレンジロードと名づけられた下山路を行くと、みかん畑の脇に、東屋の休憩所、トイレがあり大休止。
 植木さんが紅白の落雁をだしてくださり、手持ちのお茶と共に美味しく頂いた。幸い雨も小降りだ。ほっと安心して津久井浜駅へ。山へ行かなかった3名と合流して昼食予約先のある、長浜駅へと向かう。
 三浦海岸通りのホテル内にある「いちふじ」に14時ごろ到着。遅めの昼食ながら、16名揃ってビールで乾杯。初春、初笑山行を祝ったあと、飲み物、料理に舌鼓を打ち、程よい気分になった。
東京の雪は? と思いつつ電車に。全員がゆっくり座れて、無事1月山行を終えたのでした。



随想 新年山歩紀行「三浦富士」

山遊会会員 石岡慎介

 関東平野は積雪と報じている。温暖な初春の半島に期待するが、きびしい早朝の冷え込みの中5人位の参加を予想。出発市川駅の乗降客もなにか猫背早足で、中年氏がホルダーに定期券を無造作にいれるが、ポンと下へ落ちても気付かず階段駆け上がる。ザック背負って追っかける。「どこでひろいました!」と嬉しそうだった。自分はといえば、飛び乗って、なんとポシェット財布忘れに気付く。「いい旅立ちが人のことじゃねーよ・・・・・」と観念。
「しっかたねー」京急車内のIT掲示板にしばし「なんとかなるべー」と見とれていると、四字熟語の勉強タイムとなった。明哲保身、明眸皓歯、明々白々、明窓浄机、やっと明鏡止水が出て得心。
 「足腰鍛錬」は昨今の中年族のトレードマークか、参集16名とは! 海岸特有の横殴る寒風に少したじろぐが、足はムズムズ11時の出発。農道左右は観光農園で三浦大根、キャベツ、ブロッコリー、イチゴが豊かな収穫期。ビタミンを守るには、新鮮野菜は“茹でる”のではなく“蒸す”に限ると岳人が知恵を披露する。
 村人ご先祖さまのお墓を通り過ぎる。墓標には、何と「旅」の彫りが2柱あった。きっと小津映画監督の墓石の「無」や4年前に昇天した父が残した「“無”と彫ってくれ」の遺言状と相通ずる最後の心境なのだろうか?16人の岳友もすでに人生後半戦であろうか、一人ひとりが自分自身を山遊びの群れの中で見つめながら、自分を見つめ、自分に問いかけ、自分の旅をしているのだろうと連想する・・・・。
 翌日の日曜礼拝で、昭和3年生まれの人生の先輩司祭が「人生は旅です。旅の目的地がわかって歩むこともありますが、人生の旅は目的地を探しつつ、路程への視点を修正しながら歩くことが多いと思います。特に「信仰の旅路」は終わることがありません・・・・」と修養お誘いの思いを記しておられた。
 日本人は「空」より「無」が好きなようで、無に帰するとはよく言うが、半島の2柱はどんな現世と黄泉の国の旅を祈って逝かれたのだろう。「人生いろいろ」の歩みは、絶えず修正する知識を選び、知恵を学びながらも、「知性」の確かさはどのように努力すれば保たれるのだろう? 人生の軌道修正が必要とわかった時には、どのように決断するのが「いさぎよい」のか? そう簡単に答えはないが、自分の独りよがり、こだわりの判断をする前には、もっともっと神様に問いかけないと“一人前”にはなれないようだ。きっと!
 映画「パッション」も2度観た。イエス キリストの実像という身の毛がよだつ、でも身近な生き様にも触れた。十字架を背負ったイエスと人、目に見えない神と人、我執の人と人、山遊会のように群れる事の好きな人間(じんかん)の中で、どのように自分に問いかけながら生き抜いていくのか? 信仰とは「霊性の旅路」であることが少しわかってきたような気がする・・・・。
 オレンジロードを経て海岸丘陵らしいスタジイ、タブ、アカガシ、マテバシイ等照葉樹林帯に入る。藪椿がヒッソリと花をつけ、オスメスがバランスしているのかアオキが赤い実をたわわにつけている。まだ野鳥達の最後の糧食になってはいない。
 1時間チョットで海抜183mの頂上。視界が全く利かないから、20近い石塔石柱に自然と目がいく。明治18年88歳の深井小三郎と読めるお人が35度目の大願成就を感謝した石板がある。きっと翁と仲間で担ぎ上げた石板だろうか? 40度成就の苔むした物もある。恐らく江戸後期の三浦富士講の由緒跡か、あの霊峰富士まで登れなくともこうして山の神を信じて、その時ある命を感謝する信仰の旅のような気がした。“富士山私を守ってください”と翁の心の声が・・・・。
 7月8日には、白装束でお炊き上げ山開きがあると後で知る。雪でも降らないうちに、一目散に下山。砲台山の遺跡にも立ち寄る。横須賀博物館によると、大東亜戦争末期の18年頃築造された12.4インチ高角砲2基の防空砲台とのことだった。オレンジロードの残りみかんはすっかり野鳥の食料となっていた。適当な雨宿り地点で休憩、全員まんずほっとする。女流岳人が風流にも皆に「ラクガン」を切って振舞われる。我、高麗人参茶のホットでお返しをする。「まあ、おいしい!」と笑顔を返してくれた。
 出発点にもどって、熱燗反省会の割烹探索は山歩より少し苦労してたどり着く。10〜20歳代の小百合、丹波哲郎、小泉総理などオーナー自慢のセピア写真に、時の流れと今を生きる著名人がほほえましく心ほどける。静かな岳人が薩摩の「芋焼酎」を差し入れてくれた。こっそり頂き楽しむ新年散歩笑会の趣もあった。おわり


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