はるかなる分水嶺 昔に観た映画で「眼には眼を」という映画があった。妻をフランス人の医師に殺されたモロッコ人(?)の復讐話で、砂漠に誘い込まれたフランス人の医師が、はてしなく広がる砂丘を、ひとり歩いて行くラストシーンが衝撃的で、いまも覚えている。
男鹿岳への登頂を断念したとき、わたしの脳裏をよぎったのは、この銀幕の光景だった。
4月2日(土)
8時30分、西武線の花小金井駅で、わたしと岡田さんは斉藤さんの車に便乗し、野岩鉄道の男鹿高原駅に向かった。13時35分の待ち合わせ。 東北自動車道から塩原温泉を抜けると、野山はまだ深い雪に覆われている。無人駅には土田さんの車があった。新井さん、喜多さんが乗った電車を待って、日光街道沿いの横川パーキングに向かった。 パーキングの中にあるみやげ物屋「百姓屋」はあいていたものの、広場には数十センチの雪に埋もれていた。唯一東屋の下には雪がなかったため、そこに設営することにする。 前回も活躍した土田さんの大型テントがちょうどすっぽり収まった。食事も含め、今回は土田さんにすっかりお世話になってしまった。 「百姓屋」で中国産のおつまみを買い入れ、土田さんの芋焼酎を中心に大宴会となった。
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横川パーキングでの設営
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山王峠
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4月3日(日)
4時ごろ起床。食事をして濡れたテントを かたづける。天気は予報とは違ってまずまずのようだ。
6時出発。今回はこれまでのリーダーだった高橋さんや植木さんが参加せず、わたしにお鉢が回ってきた。これまで山遊会の中央分水嶺踏査は、ご承知のように2度行われており、1回目は昨年の10月に同じ横川パーキングから男鹿岳山頂をめざして歩いている。時間切れで途中で引き返している。
2回目は男鹿岳の北側、大川峠(男鹿峠と呼んでいたがどうもこちらが正しいらしい)に幕営し、ヤブをこいで、山頂に立っている。
今回は、第1回目のコースを、ヤブのない積雪期に再度チャレンジして、踏破しようというものだ。わたしはこのコースははじめてだが、新井さんと土田さん、喜多さんが歩いているので、非常に心強い。
歩き出して10分と行かないうちに旧道との分岐。旧道に入るとツボ足状態になり、新井さんがトップに立つ。旧道は整備もされていないようで、路肩が崩壊しているところが目立つ。何人かトップを交替していると山王峠に着く。大分水嶺である(6時40分、903メートル)。
ここから西へ、荒海山へ向かう分水嶺は、JAC00会の担当で、すでに踏査を終えている。
切り通された東の急斜面にとりつき、尾根をつたって歩く。県境の標識があった。大分水嶺は栃木県と福島県の県境でもある。いまは雪に覆われて道はわからないが、この下には踏跡がはっきりしているらしい。
積雪は数十センチで、それほどでもないが、先頭を交替しながら一列になって進む。唐松林の中、いくつもピークが続く。視界は明るく、遠くの山までよく見える。分水嶺のいいところは、すべてが尾根だということだ。高いとこが好きな人間にとってはうれしい。
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大倉山付近で
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分水嶺を歩く
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台形状の尾根に上がった時点で、直進して降りていくべきか、尾根沿いに左に折れて下って行くべきか迷うところがあった。こういうときは人数がいると助かる。すぐに正しい道が選択された。
しばらく行くと左手の奥に、貝鳴山という形のいい山があった。また牧場からあがってくるらしい道があった。
前回、道を間違ったという地点を過ぎ、大倉山に到着(9時18分、1188メートル)。しかし、次のピークのほうがわずかに高く、この標識は間違いではないかという。
前回の時はこのピークまで3時間で来ている。前回は迷った時間もあるはずだから、ペースは雪なしのほうが早い。
前回の最高到達点を過ぎ、さらにアップダウンを繰り返した。雪の深いところは1メートルほどもあるようになった。
斉藤さんと喜多さんが、疲れてきたというので、ふたりを残し、もうひとつ先のピークまで行ってみることにした。急斜面を降り、急斜面を登ってピークに。
ここではじめてわたしたちは正面に男鹿岳を見ることができた。悠々しい山である。那須の山系であろうか、連なる山々の中にあってこちらを見下ろしている。しかし遠い。気が遠くなるほど遠い。あと数時間でも行けるかどうか。おまけに足元には、果てしなく下へと続く雪の急斜面があった。次のピークまで1時間で往復できるかどうか。
腹も減っているし、ここで断念することにした。10時30分。1200メートルのピークだった。
斉藤さんたちと合流し、戻る。
11時15分、雪が切れている斜面で昼食をとり、14時に横川パーキングに戻る。
野岩鉄道・中三依駅近くの「男鹿の湯」で汗を流し、解散。 わたしたち3人は、塩原温泉のバスターミナルの脇のそば屋で食事をし、帰途についた。
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