5月山行 四国主脈縦走 |
日程 | 2005年5月4〜8日 |
参加者 | 植木の、植木よ、柴山、斉藤(知)、高木 5名 |
記録 | 斉藤(知) |
四国主脈縦走路の旅 今回、3泊4日で四国の背骨とも言える石鎚山系と剣山山系を縦走する、四国の山々を堪能する良い企画に恵まれ、参加した。人との出会い、山々、光、空気、食べ物、花、そしてアルコールなどたくさんの四国の香りに浸ってきた。 5月4日(水) コース 伊予西条〜(タクシー)寒風山トンネル登山口・・・桑瀬峠・・・伊予富士・・・東黒森・・・神鳴池・・・西黒森・・・瓶ケ森・・・瓶ケ森ヒュッテ・・・西之川〜(タクシー)JR西条/市内泊 タイム 約10時間 われわれは前夜7時50分に浜松町を夜行バスで出発し、10時間かけて朝6時40分に、愛媛県の伊予西条のバス停に降り立った。四国のまぶしい光が我らを出迎えてくれた。快晴である。予約してある駅前のホテルに不要な荷物を預け、タクシーで寒風山トンネルの登山口に向かった。タクシーはきれいな流れの加茂川に沿って進むが、山間部に入るといたるところに昨年の台風による爪あとがあり、いやでも緊張感が高まってゆく。登山口は新寒風山トンネルの上にある旧トンネルの高知県側入り口付近にあった。朝食、準備体操等体調を整え、いよいよ8時10分縦走路に取りついた。50分で桑瀬峠に出る。右に寒風山がそびえているが左の伊予富士へのコースを進む。1つめのピークを越えると伊予富士が正面に姿を現す。頂上まで眺望の良い笹原が広がり登山道が尾根筋を浮かび上がらせている。四国縦走路の典型的な姿だ。1時間あまりで頂上に着く。360度のパノラマがまぶしく展開する。北に寒風山、西にはこれから向かう東黒森、西黒森、瓶ヶ森の山々が連なり、奥には雪渓を残した石鎚山が見える。目を凝らすと、山の斜面にきれいなピンク色のアケボノツツジがたくさん咲いていた。まだ時間はたっぷりあるが先を急ぎ、東黒森(1735m)を過ぎジネンゴの頭の手前で昼食をとる。相変わらずの笹原が続く。北斜面に入ったとき、突然眼前にアケボノツツジが姿を現した。伊予富士付近で遠目に眺めて、もうお別れとばかり思っていたアケボノツツジがてんこ盛りだ。手に触れられる距離で見事に咲き誇っている。皆歓声を上げながら夢中でシャッターを切る。初めて入った四国の地で今が盛りのアケボノツツジに出会えるなんて何とラッキーなことか。一日目の半分が過ぎたばかりなのに、もう四国の山の魅力の大半を得られたような気がした。やがて林道と交わり、林道を少し進むと神鳴の池に出た。池には水がなかったが、石碑に四国三郎吉野川に悠久の流れを送り続ける水源と書かれていた。ここは西黒森の巻き道の途中なので、西黒森はピラミダルな姿で挑戦し甲斐のありそうな山容だが、そのまま瓶ヶ森の登山口に向かった。林道から右に入って、しばらく急な登山道をジグザグに登ると、14時26分瓶ヶ森女山のピーク(1897m)に達した。ここも眺望がよく、すぐ後ろには通り過ぎてきた西黒森、南に瓶ヶ森男山、その向こうに石鎚山、下には一面の笹原の中に瓶ヶ森ヒュッテの赤い屋根、北には山々の間に瀬戸内海等々一大パノラマが展開していた。10分ほど堪能した後下山にかかる。当初の予定ではここから東之川に降りる予定をしていたが、タクシーの都合で西之川へのコースを選んだ。白石小屋から鳥越まではかなり急な沢筋を下降した。天候しだいではかなり危険箇所と思われ注意を要する。約3時間で西之川に到着し、待っていたタクシーで7時西条市のホテルに無事到着した。夜は市内の料亭に繰り出し瀬戸内の魚や地酒を楽しみ、第一日目が終わった。 5月5日(木 コース 剣山から次郎ギュウ(剣山山頂ヒュッテ泊) タイム約3時間 8時44分JR西条駅出発し、予讃線、土讃線、徳島線と電車を乗り継いで13時に貞光駅に到着した。貞光駅前からは2人の登山客と相乗りのジャンボタクシーで見ノ越に向かった。見ノ越はリフト乗り場のほかに数件の旅館や駐車場、トイレ等ターミナルの様相を呈していた。見ノ越から約20分のリフトを利用し、14時40分に中腹の西島駅(標高1750m)に到着、交通機関による移動を終えやっと今日の登山開始となる。コースはいろいろあるが最短距離コースで頂上を目指した。途中に「安徳帝刀掛けの松」の案内板のところを通るが、枯れ木で松かどうか定かでなかった。15時10分に剣山ヒュッテに到着した。今日はここから数分の剣山山頂が目標だったが、明日の天候が怪ぶまれ、また時間も充分あるので不要な荷物を預け、次郎ギュウまで往復することにする。山頂付近はクマザサに覆われた台地になっており、整備された木道をゆるやかに上ると5分ほどで剣山山頂(標高1954m)に着いた。ここからは見晴らしもよく、次郎ギュウが目の前にあり、はるか遠くに縦走目標地の三嶺がかすんで見える。クマザサの中にはところどころショウジョウバカマが可憐な花をつけて我々を招いてくれた。1時間で次郎ギュウ頂上(標高1929m)に出る。ここは高木さん念願の山ということで、ことさら嬉しそうだった。ヒュッテに帰ると主人の新居綱男さんが、風呂を沸かして待っていてくれた。山小屋で風呂に入れるとは夢にも思わなかったので、大感激である。食事もこんにゃくの刺身、ゆず味噌、祖谷そば、アメゴのから揚げ等大変おいしく、ついアルコールを飲み過ぎた。天気がいよいよ心配になってきたので、明日の縦走をあきらめ、新居さんに頼んで明日の宿営地を探してもらう。いろいろと勝手な条件をつけたにもかかわらず、奥祖谷かずら橋の袂にある丸石パークランドを紹介してくれた。植木婦人の魅力か、巧みな交渉術か、このグループの折衝力は凄いものがあった。 5月6日(土) 剣山下山(奥祖谷かずら橋、丸石パークランド泊) 剣山山頂ヒュッテを7時30分出発、強い雨の中を見ノ越まで下山する。丸石パークランドの女将が車で迎えに来てくれた。剣山の主人新居さんのおかげだ。丸石パークランドはすぐ前がかずら橋になっている。天候不順のおかげで奥祖谷二重かずら橋を散策することが出来た。今日はゴールデンウィーク中なれど、こどもの日を過ぎて雨模様、観光客は一人もいなかった。テレビのニュースで見た、観光客であふれるかずら橋がうそのようであった。岩風呂で体を休めたあと、食事になったが、お刺身やアメゴの塩焼き、祖谷そばなどに舌つづみを打っていると、女将が祖谷節を2・3披露してくれるという。平家の落人伝説にまつわるこの地で代々歌い継がれてきた貴重な民謡だ。大変声量があって、感心して聞きながらアルコールをすすめる。聞けば女将の家も平家の流れを汲むやんごとなき家柄かもしれないという。家紋が「菊の紋章」であることがそれを裏付けているのではないかという。そういわれてみると、顔つきも何となく世俗離れしているお顔のように見受けられる。旅は予期せぬハプニングに遭遇するとますます楽しくなる。夜半に至ると風雨もさらに激しさを増し、平家の伝説とあいまって寝付かれない夜を過ごした。 5月7日(日) コース 平尾谷登山口・・・三嶺山頂・・・名頃 タイム 約7時間 女将にお願いしてエスティマの新車で平尾谷登山口まで送ってもらう。昨日、林業関係者に聞いたところ林道は荒れていて通行止め、だから安全の保障はできないが通れないことはないとのこと。女将は快くわれわれの要求を受け入れてくれた。名頃バス停の手前を左に折れて橋を渡り少し行くと途中にイノシシ牧場がある。そこのエサ小屋に不要な荷物を預けさせてもらう。丸石パークランドから登山口まで車で30分以上要した。さらに林道は奥まで続いているが、交渉術にたけているといってもさすがに紳士淑女の一行はここで下車した。女将に丁重にお礼を述べ、7時15分三嶺山頂に向けて登山を開始した。まだ雨は小止みになっていたが降り続いていた。新緑の雑木林の中を30分ほど登ると1600mの標識があった。ブナ、モミ、ミズナラ等が適度に混じりあう林の中の、整備の行き届いた登山道はとても気持ちが良かった。やがて岩の多い場所の急斜面を登りきると尾根にでた。右に折れるとすぐに三嶺ヒュッテ(避難小屋)があった。9時10分だ。まだ視界はきかないので、ヒュッテの中でお茶を飲みながら暫く天候回復を待った。霧は一向に晴れそうにないので山頂に向かう。右手に小さな池があり周辺にはまだ雪が残っていた。頂上までの間、まだ枯れ木のようなコメツツジが群生している。開花時や紅葉時はすばらしいとのことである。10時5分三嶺頂上(1893m)に立った。やはり視界は悪く冷たい風が吹き付けている。当初は、剣山から次郎ギュウを経てこの避難小屋泊まりを予定していた。そして今日は西熊山を経て天狗塚に登り、久保に下りる予定をしていた。リーダーの柴山さんはじめ我々は十分この計画を実行する気力も体力も備えていた。でも敢て、計画を大幅変更しこのまま名頃に降りることにした。無理をしないのがリーダーの信条だ。昼食をとり下山にかかるころ、ついに霧が途切れてきた。下には名頃の家並みが見える。時々遠く四国の山々が顔を覗かせてくれる。万歳。大満足だ。最後の行程は登ってきた道を慎重に下山することのみであった。14時、無事名頃に着いた。JR坂出駅付近で風呂に立ち寄りビールで乾杯し、おいしい讃岐うどんを食べて帰路に着いた。柴山さん、植木ご夫妻、高木さん、ありがとうございました。 |
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