10月山行 爺ガ岳

日程 2005年10月1・2日(土・日)
行先 岳峰ヒュッテ
記録 石岡慎介

 名峰鹿島槍とは「山格」が違うという御仁もいるようだが、なんともほほえましい好々爺(じいのお山が10月目標であった。出発日北アルプスらしい「晴空万里 秋高気爽」の期待もあったが、現地入りして夜半からは雨脚もきつく山行には及び腰だった。
されど、参加者6名にとっては、盛り沢山の思い出づくりを楽しむ「信州ありんくりん」の旅となった。集合地の信濃大町では、真っ先に自炊材料集めから始まる。馬刺しといえばご当地の「俵屋」とのことで、リーダー情報は流石。 どんなディナーになるのか、岡目八目であったが、シェフ主導で新鮮野菜をタップリ仕入れる。岳友ドライバーのパジェロは快調そのもの1時間ほどで「岳峰ヒュッテ」に到着。大柄な山荘は、カラマツ、クヌギ林の中にひっそりとたたずんでいたが、山歩き、魚とりには格好な基地であろうか!
大きな囲炉裏にガス火の炭をおき、真新しい竹筒で吹き込むとパチパチと火花が飛ぶ。新米ジンゴロウや鮎の竹串が灰床に立ち並ぶような「結い」の安らぎ。
3時半位か団欒の時がゆったりと流れはじめる。

   幾人をこの火鉢より送りけむ(加藤楸邨)

乾杯もそこそこで、シェフは台所で張り切る。ビール、ワイン、焼酎に格好のお品が次から次とサービスされ、山行ならぬ酒肴記録は以下の通り:
わさびマヨネーズつきブロッコリー、お味噌キュウリ、ひらたけのカボスおろしあえ、大根葉の油いため、わかめのおろし合え、キムチの豚バラ肉炒め、野菜てんぷら、そしてねぎ味噌入り油揚げ、シシトウ、しいたけは炭火焼きときた。鮭とばとイタリアチーズも華を添える。キャベツとキュウリの塩揉み浅漬けで「真澄」冷吟醸も嗜む。 盛り沢山だから、小屋周辺の散策も思い浮かばず、炉辺談話に時の経つのも忘れる6時間だった!
山岳会の今と未来の姿、日本酒党の皇太子の宿命人生、現山岳会幹部の常識・非常識派列伝、馬や鹿をどんどん食する岳人はアホになるとか少し脱線気味。 ドンドン食べ、たらふく飲んでばかりだとIQは下がるらしい。
ふと、見渡すと本格アンプとJBLスピーカー装置に気付いた。岳人、釣り人、家族が置いていったCDが積んである。沖縄の混血歌手新垣勉を真っ先に聴く。本場イタリアで認められたリリコスピントの盲目テノール。朝鮮半島を分断するイムジン河、愛燦燦、アベマリア、荒城の月など「愛と平和の歌」が吹き抜け山荘に朗々と響く。“昔の光今いずこ”とは何と綺麗な日本語か!でも端正で声量豊かだが人生経験がたりないな”と岳人批評は厳しい。平原綾香やシューナメグミの「明日」とか「LOVE IS ALL」のバラードも和みの時だった。
4時半起床早立ちを決めて就寝。屋根の雨音でリーダーから中止指令が飛んだが、また隣の鼾と戦う。6時起床したが、日頃の寝不足を補う山人、コーヒー団欒組みとゆったり過ごす。見上げると、キツツキがいくつも穴をあけていた。
これで帰京するのも惜しいし、リーダー発案で行動日程が決まる。後は全員で清掃し、備え付けのチェックリストに完了を記す。カラマツ根元に綺麗なベニテングダケ、添垣のブルーベリー立ち木に見送られ小雨の中を出立。
最初は、山の出で湯として名高い葛温泉にまわる。槍ヶ岳の北部に源を発する高瀬川。その川沿いの瀟洒な温宿「かじか」に到着。日本百名湯53とある。その昔「河鹿荘」と呼ばれたそうで、北鎌尾根からの槍ヶ岳や野口五郎岳、烏帽子岳方面などアルピニストには古くから親しまれた基地のようだ。単純温泉で全くクセがない。寺院境内で見る木曾五木「コウヤマキ」の湯船と雑木林の中の舞台のような露天風呂は風流の極みだった。昭和の始めには多くの文人墨客も逗留したようで、山遊会岳人にふさわしき壁の秀歌を書き留める。

   山道におくれがちなるをいたわりてわがうしろより友あゆむはや(斉藤茂吉)

後は、帰路駅へ直行するだけだが、大町ならやっぱり山岳博物館へと回る。

   山を想えば人恋し 人を想えば山恋し(百瀬慎太郎)

と山岳会員に愛された對山館オーナーに再会。ウェストン祭も著名だが、地元信濃人ならきっと百瀬慎太郎祭だろうか?5500年前 神の聖座としてお山を信仰とした祖先の縄文人。そのストーンサークルの発掘跡のセピア写真の展示にも見入る。
槍ヶ岳展示では、1828年播隆上人、1877年ガウランド、1891年ウエストン、1901年小島初代会長と引き継がれた記録を見ると、先達の登頂年代史が自分の足跡と何時ごろ重なったか再認識する。何度訪れてもご当所は、岳人が「偉いお山」のDNAに目覚める故郷のようだ。偶然だが、希少種の「クロツバメシジミ」が「ツメレンゲ」にどんなに依存しているのかをテーマにするミニゼミに参加。開発行為の受けやすい処に生きている蝶と食草なので、環境にやさしいこころの大切さをアピールしておられた清水学芸員だった。3ページ位の発表ノートを贈って下さり、機会あれば市ヶ谷で蝶と食草のお話もいただける様だった。
かくて、人はみんな聖なるお山に入って俗臭が抜けるわけでもないだろうが、一旦山に入ると俗が幅を利かす余地はないような信州紀行だった。シェフのお陰で「スーパーあずさ」車中は又盛り上がる反省会となった。おわり


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