忘年山行山行・太郎山

日程 2005年12月10・11日(土・日)
行先 太郎山(1164m) 長野県上田市
宿泊 春日温泉 もちづき荘
参加者 永田、山本、中澤、福原、辻橋、植木(N)、植木(Y)、大西、保坂、斎藤(10名、敬称略、順不同)
記録 斎藤 知茂

 今年の忘年山行は、長野県上田市の上田駅からよく見える太郎山(1164m)である。1週間くらい前から日本列島が寒波に見舞われ日本海側は大雪となっていた。それでもこの日はやはり日ごろ行いの良い山遊会のメンバーだけあって、快晴で風もなくも穏やか日に恵まれた。参加者は女性4名男性6名の10名となった。内1名は仕事の都合から宴会以降の参加となった。行動の都合上、みな4台の車に分乗し、上田駅前に9時45分に集合した。4台の車は、予定通り10時20分に登山口に到着した。登山口は他の登山客の車でいっぱいだったが、何とか4台の駐車スペースを確保できほっとした。
10時30分登山を開始。ルートは山頂付近にある太郎山神社の表参道を兼ねた登山道をピストンするルートだ。よく整備されており、ほぼ一本道でわかりやすく迷う心配のないルートだ。路傍には小さな石祠があり、登山口の最初は三丁目と記されていた。登り始めるとすぐに“くまに注意”の看板があり驚かされた。こならやくぬぎに囲まれた歩きやすい登山道を約40分ほど行くと、大きな石柱でできた鳥居に出会った。そこは十四丁目と表示され、太郎神社までの中間点だ。ひと汗かいたので小休止を取った。40分ほどすると朱塗りの大鳥居が出てきた。そこから30段ほどの石段を登ると太郎山神社に到着した。丁度12時だった。参拝者の記録ノートがおいてあるので皆記帳した。神社のすぐ前に、高さ50センチほどの、厄除けと肥満度を測る?鳥居があり、皆ザックをおろして腹ばいになって潜り抜けた。神社を過ぎると積雪があったが約5分ほどで太郎山山頂に到着した。




 頂上は、三角点、お地蔵さん、展望版などがあり、広々と刈り込まれていた。展望版によると北アルプス他いろいろな山々が見えるようだが、雲が出てきて確認できなかった。神社に戻り境内の休憩所を借りて昼食をとった。そこは上田市内、新幹線の線路、千曲川などがよく見えるよい場所だった。我々の忘年山行を歓迎するかのように雪が突然降り注いできたが、すぐに止んだ。温かい味噌汁を作ったり、例によって食通の皆さんが用意してくれたおいしいご馳走をいただいた。大西さんは自慢のフグのひれ酒を用意してくれたが、車の運転があるのでほとんどニオイだけで我慢した。
ふと社務所の壁を見ると奉納された額が並んでいた。それには、太郎山何年365回登頂とか、8000回登頂といった記録がされていた。どこにも記録マニアがいるものだと思ったが、8000回には少々驚いた。
13時10分下山に取り掛かり、14時前に登山口に戻ることができた。まだ宿に行くには早すぎるので、別所温泉の近くにある無言館に立ち寄った。ここには、第二次大戦中、志半ばで戦場に散った画学生の遺作が展示してあった。このようなところを見物場所に選ぶ山遊会のメンバーはさすがに文化レベルが高いなと、改めて感心した。機会があったら訪問をぜひお勧めしたいスポットだ。ただ、入り口には受付がなく無料かと思ったら出口に1人500円以上と書かれていたので注意。勿論山遊会は無言で入り口から出るようなことはしていない。そのあと、中澤さんの案内で“おやき”のおいしい塩田の館や、アルコール類の調達のためスーパーに寄って、本日の宿“春日温泉もちづき荘”に17時に到着した。
ちなみに、これらの行動には、我輩が最近仕入れた中古パジェロのカーナビが活躍した。誰かが、このナビを“サチコ”と命名してくれた。そこまではよかったが、行き先を間違えたり、やっと通行できるような山間のとんでもないコースを選ぶなど、皆をはらはらさせてしまったので、ついに“バカサチコ”の汚名を着せられてしまった。肌がツルツルになる美人の湯として名高い信州屈指の名湯にゆっくりつかり、疲れを癒したあと、やがてあとから永田代表が合流し、10名そろったので忘年会に入った。宿の心づくしの郷土料理、ししなべなどを味わいながら本年一年間の思いを語り合ったり、すさまじいまでのカラオケパワーを発揮したりして十分堪能した後、今後の会員相互の結束を誓い合った。





 翌日(11日)は9時半に宿に別れを告げた。夕べのうちに降った雪が10センチほど積もり、銀世界と変わっていた。地元の保坂さんの案内で布引観音に立ち寄った。予定にない場所なので、よくわからないまま入山してしまったが、凄い岩峰の中に寺があり、雪景色がすばらしいので、カメラを車においてきてしまったことを悔いた。断崖絶壁にへばりつくように建っている観音堂は、自然に溶け込んで見事な風景をかもし出していた。下から見上げると、そこには行けそうもない様子だったが、トンネルなどの通路がありたどり着くことができるようになっていた。さらにその横には“暗闇”という場所があり、恐る恐るそこに入ると、さらに通路が先に続いており、何と布引山に通じていた。展望台もあり、浅間連峰や小諸市街が一望できた。予期せぬハイキングを楽しむことができ、昨日の山行に参加できなかった永田代表も元を取ったような顔つきだった。小諸市内の蕎麦屋で昼食をとったあと、まだ物足りない面々は、高速インターの近くのイタリアンレストランにしばし足をとどめたが、14時解散し、去りがたい信州を後にした。
今回の山行は初めての担当だったが、計画には保坂さんの助けを借りて、また、皆さんのご協力により無事終了することできたことにつき、心から感謝いたしたい。


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