2008年3月山行・八ヶ岳連峰阿弥陀岳

日程 2008年月15日〜16日(土・日)
コース 15日
JR茅野駅10:20(バス)→美濃戸口11:11/11:30→美濃戸山荘12:25/12:50→堰堤13:30/13:40→赤岳鉱泉14:40
16日
赤岳鉱泉7:05→行者小屋7:45(文三郎尾根)→尾根分岐9:00→阿弥陀岳山頂10:30/10:50(御小屋尾根)→御小屋山手前12:20/12:40→美濃戸台別荘13:35→美濃戸口13:50/14:54(バス)→JR茅野駅15:48
参加者 片山右一、永田弘太郎
記録 永田弘太郎

 阿弥陀岳は八ヶ岳連峰の中でもっとも雪崩が起きやすいと聞く。以前、北陵の雪崩で14人が亡くなっているため(同行の片山さんの友人もこの事故に巻き込まれている)、そういわれているかもしれないが、阿弥陀岳は八ヶ岳の中でもっとも危険な山だという先入観があった。
 山遊会では八ヶ岳シリーズと称し、毎年3月に八ヶ岳に登ってきた。縞枯山、天狗岳、硫黄岳、赤岳。阿弥陀岳には昨年登るつもりだったが、大雨のため断念した。
 今年は阿弥陀岳再挑戦となった。そして残念なことに、片山さんとわたしの、2人だけで実行することとなった。

 3月15日快晴。
 前日の夜半まで降っていた雨は打って変わって、朝から青空が広がっていた。スーパーあずさ5号に乗る。
 すると、なんと驚いたことに通路を当会の中澤さんが歩いてくるではないか。辻橋さん、塩澤たちも一緒だということなので、わたしはそちらの席に行ってみた。これから山水会で日向山に行くということだった。
 中央線の車窓からは、北岳や甲斐駒が、青空の下、白く輝いていた。八ヶ岳もまた、青い天に向かって、白く覆われた幾本もの剣を突き立てていた。
 10時7分、茅野到着。駅からバスで美濃戸口へ約1時間。乗客は十数人と少ない。何年か前にタクシーが雪で進めなくなったこともあったが、今回はまったく雪がない。うつらうつらする間に着いてしまった。
 美濃戸口10時30分出発。登山道には、雪が残り、「この先通行不能」という紙が貼ってあったが、いまクルマが入っていったと八ヶ岳山荘の人が話していた。地表は雪で覆われていたが、轍の底は溶け出している。凍っているよりましだったが、歩きづらい。ほどなく歩くと、それらしきクルマが立ち往生していた。さらに行くと、JAFがクルマを牽引しようとしていた。
 車道を歩くより、ショートカットに使う山道のほうが歩きやすかった。目の前には阿弥陀岳がシャープに見えていた。
 1時間ほどノンストップで歩き、美濃戸山荘で昼食。赤岳山荘は営業していて、登山客が何人もいたが、美濃戸山荘は閉まっていた。とにかく暑く、Tシャツに、上着の袖を捲っていた。
 美濃戸山荘12時50分出発。途中、赤岳鉱泉のスタッフが案内する女性3人のツアーを追い越し、堰堤に出る(約40分)。10分ほど休み、沢沿いの山道に入る。積雪は50cmほどで、それなりに深い。横岳の石尊稜がやけに大きく見えていた。
 沢沿いの道を上り、1本とり、林を抜けると赤岳鉱泉だった(14時40分)。赤岳鉱泉の脇に作られた氷柱には、今年も多くの男女がとりついていた。若者に混じって、結構年配の人もいた。 
 部屋は残念ながら個室ではなかった。寝るところを確保し、ワインや焼酎、それにおつまみを持って、食堂へ。まだ3時だ。500円の缶ビールを飲み、ハイピッチで酒がなくなっていく。窓際のテーブルは日差しが入って暖かい。
 呑んでいると大きな音がして、屋根の雪が滑り落ちてきた。雪はそのまま、下の窓ガラスを割って止まった。「春だ、春だ」スタッフの大きな声が聞こえた。
 夕食の準備があるということで、われわれはバルコニーのようなところに河岸を移した。そこには屋根も窓もなかったが、寒さを感じなかった。回りの山々や小屋の屋根に積もった雪を眺めながらの一杯は贅沢な気分だった。夕陽が空を茜色に染め、群青色に変わっていった。
 5時半の夕食の時間になると、いつのまにか食堂は宿泊客があふれかえり混雑していた。おかずはサンマ。小屋でサンマ定食は初めての経験だった。
 7時前には床につく。


顔が赤いのは、夕陽?アルコール? 
赤岳鉱泉のバルコニー

 翌日は、5時半に起きる。6時朝食。ご飯をもらうための長い列ができていた。
 アイゼンをつけ、7時出発。しかしなぜか、みな硫黄の方へ登っていくため、行者小屋方面に登る道がわからず探してしまう。ようやく小屋の裏手にある道を発見する。
 雪はやはり深い。人もそれほど歩いていないようだ。
 行者小屋は半分以上雪に埋もれ、テントがいくつか張ってあった。この行者小屋が雪崩に襲われたこともあると、片山さん。
 青空にくっきりと浮かぶ阿弥陀岳をみながら文三郎尾根にとりつく。高度を上げると風も出てき、温度も急激に落ちてきた。Tシャツに上着だけで登っていたが、防寒服を着る。文三郎を登っているのは数人のようだ。
 9時に尾根に出る。やはり風は強い。
 目の前には権現岳があり、その向こうに北岳や甲斐駒がそびえ立っていた。
 阿弥陀へ向かうコースには踏み跡がなかった。ひとり阿弥陀へ行こうかと迷っている若者がいたが、止めてしまった。
 わたしたちも迷っていた。雪がしまっていることを望んで早く出かけてきたが、昨日今日の晴天、しまっているとは限らなかった。ただ、北陵を登っているグループがいた。行けるところまで行って、だめだったら戻ろうということになった。
 またこの下りを戻ってくるのかと思うと情けなかったが、雪が付いた砂礫の間を下りていった。
 片山さんがラッセル。幸い雪はしまっていて、コルも山腹もそれほど深くない。中岳には思いのほか楽に登ることができた。


中岳から見た阿弥陀岳


中岳のコルを行く

 さてどうするか。また迷った。見ると阿弥陀の頂上に人影があった。北陵から登ったのだろうか。
 やはり行けるところまで行くことにした。阿弥陀に向かってとんがった雪の道がカーブして続いている。コルに下りると雪は深く、北へ下りる道は見分けがつかず、雪崩のリスクがありそうだった。新雪のナイフリッジを一歩一歩歩く。快適だ。
 阿弥陀の登りはそれなりに雪が深く、ラッセルを強いられる。といってももっぱらラッセルしたのは、片山さんで、わたしは途中で疲れてしまった。雪はそこそこしっかりしているようだったが、片山さん曰く、危ないとこもあったらしい。
 下りてくる単独行の男性と行き違った。南陵からきたのだと言う。山頂では3人のパーティが待っていて、ラッセルのお礼を言われた。男性のガイドに女性客という感じで、北陵から登ってきたと言った。
 北アルプスは雲に隠れていたが、南や中央はよく見えた。富士山も薄ぼんやりと見えていた。風もなく、いい気持ちだった。写真を撮ったり、20分近く休憩。


阿弥陀岳から見た中岳


阿弥陀山頂での記念撮影

 予定では引き返すことにしていたが、文三郎別れに登り返し、行者、赤岳鉱泉とまわっていくのは遠回りなので、御小屋尾根コースで下山できるようだったらそうしようということになった。踏み跡があれば、ということである。
 尾根を歩いていくと、先を歩いていた片山さんが、西ノ肩に踏み跡を見つけた。複数の踏み跡が、西の方に続いていた。
 傾斜は急で、一気に高度を下げることができた。片山さんはお得意のシリセードで滑っていく。林の中に入るとひっきりなしに雪を踏み抜くようになった。
1時間ほど下りると4人の男性のパーティが休憩していた。南陵から登り、下山中だという。どうして一般ルートから登らず、バリエーションばかりで登るんだろう、と片山さん。親子ずれ(彼らも南陵から)を追い越したところで、平らな場所で休憩をした。時計を見ると12時20分だった。腹が減ったはずだった。20分ほど休憩し、出発。アイゼンは外すことにした。
 すぐに美濃戸口に下りる分岐があった。しかしそれからが結構長く、1時間かかって別荘地に着いた。それからコンクリートの道を15分ほど歩き、ようやく美濃戸口に着いた。13時50分だった。
 しばらくすると、北沢の方から若者がたくさん下りてきた。彼らは待っていた大型バスに乗って帰って行った。「東京都山岳連盟」と書いてあった。
 わたしたちは1時間待ってバスに乗った。
 茅野駅のそば屋はまだ開いておらず、片山さんはダイエット中だというので、車内で呑むことにした。車内は幸い空いており、ゆっくりと呑むことができた。
 天気がよく、目的を果たし、満足のいく山行だった。そのことを呑みながら、何度も口にした。

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