10月山行 東京十名山・前編(御留山、志村城山、道灌山、飛鳥山、箱根山)

日程

2008年10月19日(日)

行程 高田馬場駅→おとめ山公園→高田馬場駅→志村三丁目駅→志村城山→志村坂上駅→西日暮里駅→諏訪神社→西日暮里公園→昼食→西日暮里駅→王子駅→飛鳥山公園→都電飛鳥山駅→都電面影橋→甘泉園→箱根山→新大久保駅
参加者 石井、江村、大西、染谷、辻橋、土田、中澤、永田、中村、福原、松島、松田夫妻、山崎、山本  15名
係り 永田(大西、中澤、中村)
記録 永田

 東京十名山を知ったのは、日経新聞社発行の「THE NIKKEI MAGAZINE 」でだった。東京二十三区にある十山なのだが、誰がいつがどうやって選んだのかはわからない。ただ、そこに掲載されていた日頃見慣れない緑の東京の写真に心惹かれた。登ったことがある(行ったことがある、と言った方が正しいかも)山もいくつかあり、ほかも知りたくなった。
 別にひとりで行ってもよかったのかもしれないが、みんなと一緒に行った方がおもしろそうだったので、巻き込むことにした。そして、まだ前半の五名山しか終わっていないが、そのとおり、おもしろかった。

●御留山(35メートル程度)
 現在はおとめ山と書かれ、新宿区下落合の目白台地にある。江戸時代、将軍家の狩猟地として、立ち入りが禁止されていたため、この名があるが、山ではなくこのあたり一帯を指していたらしい。江戸の古地図ではこのあたりは「丸山」という記載がある。現在「おとめ山公園」として、昼間は開放されている。
 おとめ山公園は丘陵の南斜面にあり、日本初の造園家・長岡安平が築造した相馬家の庭園。起伏に富み、いまも湧き水が出る。
 高田馬場に9時集合。参加者は、10名の予定だったが、山本さんと大西さんが現れ、福原さんが用事で反省会のみの出席となったので、11人に。幸い、天気は晴れ。暑くも寒くもなく、散歩には申し分がない。まずは高田馬場のインド大使官邸で拾ってきた椎を味見。
 おとめ山公園へは、高田馬場駅から15分もかからない。外から見ればなんと思われるか、ハイキングに行くような恰好で、朝方の街中をゾロゾロと歩く。飲み屋通りの途中から右に折れ、神田川と西武新宿線、新目白通りをわたると、すぐに坂道になり、突き当たりを左折、それから右折して急坂を登ると左手におとめ山公園の木戸が出てくる。
 木戸をくぐるとすぐに下に降りていく道があり、木々に中に弁天池という池がある。この日はボランティアの人たちが、落ち葉を清掃をしていた(中澤さんの取材によると週2回)。池を回っていくとすぐに上り坂となって、出口。山頂とおぼしきところは車道をわたった西側の公園にある。
 こちらも木戸をくぐると下り坂になっており、左手にホタルを飼育している小屋がある。せせらぎをわたり急坂を登ると東屋があって、見晴台(実際には木々に隠れ展望はきかない)。一応ここがおとめ山ということで、記念写真を撮る。
 そこから見晴台の裏手に回る。公園側が作った道ではなく、山道で、ここからは新宿副都心が見渡せる。薄ぼんやりしたとした風景を眺めながら歩くと、前方でどこかで聞いた声が。石井さんだった。近所に住んでいて、ここは散歩コースらしい。合流する。
 公園の北の道を回って、元来た道に。ぶらぶらと駅に戻る。
 高田馬場駅から山手線で巣鴨駅に。都営三田線に乗換え、志村三丁目駅へ。


御留山


志村城山

●志村城山(20メートル?)
 東京は起伏が多い。渋谷だとか、四谷だとか、以前谷だったらしい地名が残り、地下鉄も地上も走る。都営三田線も、志村坂上駅をすぎると地上に出る。志村三丁目駅の北西には荒川河川が広がり南は舌状台地になっている。ホームから見える南側の斜面が、志村城公園で、この上が山頂ということになる。改札口を出て、公園の坂道を5分ほど登ると熊野神社の裏手に出る。コパルの工場の前を通り、境内にはいる。
 境内にある説明によると、この熊野神社は、1042年に古墳の上に建てられたとある。この神社を中心に、豊島氏の一族である志村氏によって志村城が築かれた。志村城は中世の典型的な城だったらしい。北の山裾まで荒川が流れ、南の裾を出井川が巡っていたという。本丸があったところは、現在志村小学校になっている。
中澤さんが、本殿の脇に、かなり埋められてしまった空堀跡を案内してくれた。
記念撮影をして、坂を下って志村坂上駅に。そこからふたたび都営三田線で、巣鴨駅に戻った。
ここで思わぬアクシデントが起こった。パスモを持っていない二人が行方不明になったのだ。携帯で連絡をとると、ひとりは山手線の内回りに、もうひとりは外回りに乗っているらしい。まあ、とにかく次の目的地、西日暮里駅で無事再会(詳細は道義上省略)。

●道灌山(25.3メートル)
 道灌山は、上野から飛鳥山へ続く丘陵にあり、西日暮里四丁目付近を言うらしい。道潅山というと、太田道灌と関係があると思いがちだが、道灌山にある西日暮里公園には、中世に土豪・関道閑が屋敷を構えていたという説も併記している。
西日暮里駅の西側斜面が道潅山である。改札口を出て急な車道を登る。登り詰めると車道は左に折れ、平らになって谷中に向かって延びている。右側が西日暮里公園。道潅山と呼ばれる一帯が土手状になっているのがわかる。
このあたりに詳しい大西さんは、まず、諏訪神社に案内してくれた。
諏訪神社は1205年創建の由緒ある社。駅の裏手にあたり、あたりが一望できる。むかしは筑波山や日光連山を望むことができたとあり、景勝地だったらしい。
そこにある大きな1本のイチョウ。時節柄大いに匂いを発するも、大西さん躊躇せず、みなを呼び寄せ、ここが最高地点ではないかと言う。それから西日暮里公園に。道潅山の説明を読み、記念撮影。
北側は開成高校がある丘陵との切り通しになっていて、歩道橋を渡って、向こう側に降りるようになっている。
西日暮里駅前にある大西さん推薦のお店で食事。なんと、寿司屋とスペインレストランが隣同士で同じオーナー。どちらのメニューからでも選べるというもの。しかし2つに分かれ、リーズナブルなランチをそれぞれ楽しむ。
食後、西日暮里駅から、京浜東北線の王子駅へ。
しかしここでもアクシデント。京浜東北線は、日曜、西日暮里に止まらないため、一旦山手線で田端に行き、そこで京浜東北線に乗り換える必要がある。都会の交通事情は複雑である。ひとり山手線に乗り損ねてしまう(詳細は道義上省略)。


道灌山


飛鳥山

●飛鳥山(25.3メートル?)
 飛鳥山は江戸時代からつづく桜の名所である。王子駅の脇にあり、山には数分で登れる。以前は展望台がしつらえてあったが、今はなく、どこが最も高いかは不明。わずか木々の間から、街が見下ろせる。公園の桜が植えてある尾根らしきとこを歩く。これまでの三山と違って公園は広く、人も多い。下の広場では、フェスティバルのようなものをやっていて、きわめてにぎやかだ。
飛鳥山の説明を書いた看板の前で記念撮影をし、子供たちが遊ぶ広場を抜けて、渋沢栄一が住んでいたという屋敷を外から見学。飛鳥山博物館や紙の博物館の前を通って、本郷通りに下りる。
都電の飛鳥山駅から電車に乗る。結構混んでいる。大塚駅前で少し人が入れ替わり、東池袋四丁目で人がすく。面影橋で下車。最初の予定では終点の早稲田でおりる予定だったが、時間に余裕があったため、甘泉園を通ることにする。この変更を聞いていない人がいたが、これも道義上省略したい。
都電の面影橋や早稲田は神田川沿いの低い通りにあり、箱根山まではゆるやかな上りになっている。甘泉園は面影橋から歩いて数分のところにあり、江戸時代に作られた回遊式の日本庭園である。池を回り、南に抜ける。隣の戸塚稲荷神社を参詣し、公務員住宅を抜け、高田馬場跡を見て、早稲田通りをわたる。近道をするつもりだったが、道を間違う。


晩香廬(ばんこうろ)


箱根山

●箱根山(44.6メートル)
 箱根山は新宿区戸山2丁目にあり、23区内で最も高い山である。しかし残念ながら築山。尾張徳川家の下屋敷の庭園である。箱根山のある戸山公園は、戦時中、旧陸軍軍医学校防疫研究室があり、人骨などが多数発見されている。
広大な都立戸山公園の明治通りを挟んで東側の中央にあり、今回の五山のなかで一番山頂らしい山頂を持つ。
箱根山には、戸山公園の北から入った。公園は、運動する市民や練習する学生が多く、にぎやかだ。10分ほど歩くと箱根山にぶつかった。坂道を登り、最後の階段を上って山頂に。展望はそれほどよくないが、すがすがしい。
記念撮影をして、下山開始。
戸山団地の脇を通り、大久保通りへ出る。そこから新大久保駅に向かう。3時45分だった。
新大久保駅で山崎さんと別れ、福原さんが合流。
駅裏にある朝鮮料理の店に行く。そこで松田さんの夫、昭郎さんが山遊会に入会したいということで合流。楽しい集いになった。 


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