3月特別山行 東京十名山(後編)

日程

2009年3月28日(土)

行程 中目黒駅9:00→9:18西郷公園9:28→10:00恵比寿駅→五反田10:15→10:45池田山公園11:00→11:23清泉女子大学11:55→12:03「チェゴヤ」13;05→1320権現山公園1330→1355品川駅→大門駅14:15→14:35愛宕山山頂1445→Fermier→15:30コーヒー店16:30(解散)
参加者 石井、江村、大西、佐藤、辻橋、中澤、山本、永田(計8名)
係り 永田
記録 永田

 東京十名山の後編は、前半と打って変わって、体をこごめて歩く花冷えの一日となった。
 参加者は八人。二十八日(土)九時、東急東横線の中目黒駅に集合する。改札口には、登山ツアーのような旗を持った団体がいて、ザックを背負った中高年が集まっていた。
 福原さんが行けないが、と顔を出し、石井さんが靭帯を痛めたと松葉杖をついて立っていた。

【西郷山】標高36メートル
 西郷山は西郷隆盛ではなく、実弟の西郷従道の名にちなんでいる。兄の再起を願って購入したが西南戦争で敗れ死去したため、従道がそのまま一九四一年まで使い続けていた。公園になったのは一九八一年と、まだ新しい。江戸時代は、豊後竹田城主の中川氏の抱え屋敷があったところで、回遊式庭園が名所だったらしい(ウィキペディア)。ちなみに、鹿児島の西郷公園には西郷隆盛の像がたつ。
 九時出発。辻橋さんの先導で、目黒川沿いに歩く。咲きかけた桜が川の両岸から川面に向かって垂れ下がり、上流に向かって続いている。その桜の間を数多くの提灯が風に揺れて並び、町の人たちが、紅白幕を張ったり、テーブルを出してきて、屋台の準備をしていた。「中目黒桜まつり」とポスターにはあった。
 ゆっくり桜を見物しながら歩いていると、先ほどの団体が追い越していく。まさか同じ目的地では?と懸念しながら、われわれはその間を抜けて、川沿いの道を離れ、西郷山下交差点からゆっくりとカーブする坂を登っていった。
 九時十八分、西郷公園到着。公園の最も高いところ(つまり山頂)は、芝生に覆われ、南に開けた眺めは気持ちがいい。
 桜は三分咲きぐらいだったが、ブルーシートが敷かれ、わたしたちは準備をしている人に頼んで、集合写真を撮ってもらった。
 九時二十八分西郷山をあとにし、旧の山手通りを歩く。おしゃれな店や大使館など、横文字の建物が建ち並び、前編の町並みとはおよそ雰囲気が違っている。ショウウインドーの飾り付けもセンスが際だっている。
 しかしまだ午前中のせいか、寒いせいか、若者たちの姿はまばらで、静かである。石井さんは通りに咲く草花の説明を欠かさない。駒沢通りから恵比寿駅に着く。十時ちょうど。


お花見の西郷山

【池田山】標高29メートル
 十時十五分、江村さんの案内で、五反田駅の改札口を出、桜田通りを渡り、細い路地にはいる。そこは殺風景な表通りからは隔たった別世界。石畳の坂道が上に伸び、両脇には桜が咲いていた。寒さもゆるんだような気がした。
 坂道が異様に広くなり、左右には「瀟洒」という言葉のためにあるような立派な邸宅が続く。むかし、高級住宅地として分譲されていたという。ゆるやかな坂をしばらく行くと「ねむの木の庭」という花で埋もれた公園に行き着く。
 正田家があった場所で、建物は解体され、区立公園として三年前に開園した。案内人というおじさんが、庭木を案内してくれ、在りし日の正田家の写真やおとずれた皇室の写真を見せてくれた。
 さらに行くと、池田公園の裏手に出た。十時四十五分。坂を少し下ったところにある公園で、入口がその公園では最も高いところから、池田山の山頂はいま来た道路の交差点あたりだろうか。
 池田山は、江戸時代、岡山の城主・池田氏の下屋敷があったところである。ここも回廊式庭園が残り、鯉が泳ぐ池に滝が注いでいる(「循環している」と中澤さん)。高低差のある公園をくだり、外に出る。
 NTTの巨大な関東病院の脇を歩く。ここからは池田山の山容がうかがい見える。あたりはマンションが建ち並び、電柱に貼ってあった売り出しのチラシには、一億数千万円という値段が提示され、誰かが一桁間違えて読んでいた。
 ふたたび桜田通りをわたり、清泉女子大学へ。


池田山

【島津山】
 明治になって、旧鹿児島藩主の島津家の邸宅だったところから島津山と呼ばれている。山頂だったらしい場所には、J・コンドルが設計したというイタリア・ルネッサンス様式を取り入れた英国式洋館が建っている。
 ここは清泉女子大学の校内であり、登るためには許可が必要だった。そのため、試験日や休日をはずし、この日になったものだ。
 十一時二十三分、清泉女子大学到着。予約の時間よりも一時間半も早い。守衛に申し出ると、階段を登ると案内人が来るという。
 校門を入ってすぐのところにある急な階段を登ると正面に旧島津家の洋館のファサードに出た。つまり山頂。そこへ職員らしい女性が現れ、この建物の説明をしてくれた。一緒に庭に回ると美しいベランダが現れた。庭には桜が咲き、芝が美しい。もちろん我々だけである。説明を終えると女性は、「ご自由に見学下さい」と去り、われわれは明治天皇や大正天皇が休憩した大木を眺め、石けんや羽子板の羽根の球をつくるムクロジをたくさん拾う。女子学生を求め、学生棟に行った人もいた。端から見ると、マスクやサングラスをかけた異様な集団であったため、大事に至らなかったことは幸いだった。もっとも春休みで学生は休みである。
 十二時五分前、大学を出る。
 五反田駅前の韓国料理店「チェゴヤ」へ。一リットルのマッカリと特製チゲを分けて食べる。一時に店を出る。 


満開の桜をバックに


旧島津公爵邸をバックに
【御殿山】標高20メートル
 現在、御殿山という山も地名も公園もない。もともとが江戸湊を見下ろす高台で、桜の名所として江戸時代からにぎわった公園であり、山頂があったかどうかも疑わしい。あたりは高級住宅地で、中心部は山手線東海道線が貫き、その脇には滝のある庭園を持った高級マンションが建っている。
 われわれは解体中のソニーのビルの前を通り、道灌通りへはいる。
 突き当たりは御殿山通り。左に折れ、高台の道を東にまっすぐ進むと、JRの線路を見渡す場所に出た。あたりには高級そうなマンションがならぶ。記念撮影をする場所もなかったので、右正面の公園に行くことにする。少し下がり五十メートルほどもある跨線橋を渡る。下を新幹線はやてが走る。
 しかし着いた公園は「権現山公園」だった。十三時二十分。公園の砂場で遊んでいた子供やその母親たちがこちらを見ている。持参した江戸時代や明治時代の地図によると、このあたりも御殿山の一角だったらしい。いまは東側にはビルが建ち並ぶが、たぶん、ここからも黒船が見えたに違いない。
 記念写真を撮り、ふたたび跨線橋を渡って、マンションの脇を抜け、第一京浜へ。品川駅まで歩く。心なしか暖かい。いつの間にか風が止まっていた。臨海に屏風のように立ち並ぶビルのせいだろうか。
 品川駅着十三時五十五分。


権現山公園

【愛宕山】標高25・7メートル
 天然の山としては都内二十三区の最高峰。山頂には愛宕神社があり、その境内には三角点がある。愛宕神社は、一六〇三年に徳川家康が、江戸の防災のために祀られた神社である。しかし、NHKの前身である東京放送局が置かれ、日本で最初にラジオ放送を発信された場所としてのほうが有名である。
 品川駅から都営浅草線で、大門駅へ。そこからは石井さんの案内で愛宕山へ行く。大門の大きな鳥居の前から芝大神宮、日比谷通りを渡って愛宕山正面の階段、男坂を登る。十四時三十五分。これで十名山を達したことになる。
 愛宕神社には多くの参拝客がいた。大西さんは、以前ここに来たとき探せなかった三角点を見つけたいと上がってきたが、なんと真新しい三角点が備えつけられていた。ということは昔の三角点はないのだろう。大西さんは、古い石碑の台座右側面に彫られたT字の水準点を教えてくれた。
 記念写真をして、裏手から坂を下る。


愛宕山三角点

【反省会】
 かつてから予定していた坂の途中にある田崎真也のチーズ専門店をのぞく。店は混雑しており、外車で買いに来るカップルも。何人かがチーズを購入。
 坂を下り、愛宕通りに出、反省会をするために虎ノ門へ歩く。
 店がまだ閉まっていたため、近くのコーヒー店でお茶をするが、四時半を回っても店は開かず、休みだったことがわかる。結局、新橋へ行き、よさそうな店に入った。アタリだった。
 残った五人はそれから夜遅くまで、酒を楽しんだ。なんと四時間半の反省会に及んだ。

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