9時40分、雲一つないみごとな秋晴れ、大月駅に降り立ったのは12名(男9名・女3名)直ぐ眼の前の山を見上げて、染谷さんが歩きはじめた。20号線(甲州街道)沿いの左に墓地、右下に学校があり10分位で登り口の無辺寺に着く。お寺の脇の急な石段を登る。この石段は奥行きが狭く段差も極端に低いので慎重に足を運ぶ。突き当たりに小さいお宮があり、皆で安全登山を祈る。ここからは辻橋さんが先頭を歩く。ゆっくりゆっくり流れるようなテンポで足場の悪い急な道をよじ登る。やがて小さな尾根に出るとズボンの裾にからまる枯草や落ち葉の踏み音に秋の気配を感じた。狭い道を避けるようにひっそりとコウヤボウキの花や、きのこを見つけて花談義。しばし足を止めて眼下に広がる大月市街や、遠方の山々を眺めた。10時30分、小休止のときメンバーの自己紹介。新会員の方もいて、和やかに話し合う。
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中腹からの富士
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眼下に広がる大月市街
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11時、菊花山(643.7m)頂上に到着。大きな菊花岩が鎮座する周りの狭い場所で早めの昼食を摂ることにした。各人が自前の弁当をほおばる。染谷さんがコンロや食材などをザックに詰め込んできた。わずかな平地を見付けて染谷、辻橋、山崎、永田さんたちが、急造りのキッチンで手際よく調理して「とん汁」を作り、おわんに入れて皆に配る。おいしい「とん汁」に舌づつみを打ち、うまい、うまいを連発する。それに加えて大西家秘蔵の味噌や漬もの、魚や肉の干物などが、ぐるぐる手元に廻ってきた。気付けのひれ酒も。これはまさに「ご馳走」山行と言っていいかも知れない。澄んだ空気の中、目の前にそびえる富士山を眺めながらランチ・タイムを楽しむ。
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菊花山山頂
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山頂からの富士
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12時、菊花山直下の大きな岩の塊りをすり抜けるように下る。歩き始めてから、まもなく辻橋さんが、前方2メートル先にスズメバチを発見、足を止めて静かに後退した。3番手にいた柄澤さんが、しずしずと前に出て帽子を脱ぎ二ツ折りにし、右手に持って電光石火の一撃でスズメバチを退治した。この蜂は女王蜂で登山道に来年の巣作りをしていたところだったそうだ。私たち一行はほっと胸をなでおろす。(柄澤さんは御岳ビジターセンターにお勤めです)
12時50分 沢井沢の頭(790m)で小休止。記念写真を撮ってから斜面を急ぎ足で下る。さらに足場の不安定な急斜面が続く。左手の斜面一帯の伐採地の跡には、植樹がしてあり若木の保護のため、一本、一本網で巻いて鹿などの食害を防いでいた。
下山路の分岐点で休憩。どんぐりの実が一面に散らばっていた。ナラの木があちらこちらに立っているからか。
伐採地の端を下りはじめた。斜面の足場が狭く崩れやすいので備え付けのロープを伝って進む。厄王権現様に手を合わせて、無事の下山を祈る。何故か郵便箱がポツンと柱に掛けてあった。樹林に差し込む陽光は、初夏の淡い若葉をほうふつとさせるような輝きであった。幻想的な樹間をどんどん下って、14時18分駒橋登り口の鳥居をくぐった。
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巨大な導水管
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明治時代の煉瓦
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下山地点で東京電力の職員の許可を得て駒橋制御所を見学することになった。明治時代の国策で東京電灯(東京電力の全身)が日本で初めて55KV送電の水力発電所をつくった。水は山中湖から引いている。山肌の岩を割り煉瓦を積み重ねた通路の壁には、風雪に耐えた恐ろしいほどの貫禄がある。
見学後、20号線に出て、大月駅前の「かつら」に着いた。9人が座敷に上がる。(3人は駅前で別れ欠席)横長のテーブルに向かい合って座り、無事の下山を祝して先ずビールで乾杯。注文に応じて皿に盛られた料理を皆でぱくつく。山談義に興じながら各人の好みで、焼酎のお湯割り、かん酒、地酒の「谷桜」のカップを飲み飲み心地よく酔いが回ってきた。そろそろお開きも近づいている。参加の皆さんおつかれさまでした。
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