おいらの吾妻連峰散策 〜紅葉と食いバテの山旅〜
9月27日(土)から28日(日)にかけて、おいらは9月定例山行「吾妻連峰散策」に参加した。東京方面からは、リーダーの松島さん、染谷さん、二戸さんの3人。山形からのおいらを含めて総勢4人。
おいらは少し早めに福島についていたが、時間になっても東京方面から誰も来ない。松島さんに電話をかけたら、新幹線が遅れているけど間もなく着くと。10時少し前に松島さんとは会えたけど、後の2人は所在不明。でもバスの出発時間は10時。とにかくバス停まで移動したが2人はいない。松島さんが染谷さんに電話すると、東口にいると言う。「え?ここは西口だよ・・・」と松島さんも焦り気味。
おいらはバスの運転手に5分待ってくれと言ったけど、それは出来ないとあえなく却下。バスが出発して間もなく、あたふたと走ってくる染谷さんと二戸さんを発見。
「到着が遅れたJRが悪い」「浄土平行のバス停はどこかと聞いたのに、いい加減なことを教えた駅員が悪い」・・・と賑やかに他人のせいにしながら、タクシーを使って浄土平へ。浄土平に近づくにつれ木々の紅葉が目立ってくる。紅葉には少し早いと思っていたけど意外に期待できるかもしれない。浄土平には11時に到着。計画では11時半到着だったので30分早い。でかい駐車場の一角にあるベンチを占領し、「4人だからタクシー代も思ったほどじゃない。かえってラッキーだったかな・・・」と言いながら準備完了。松島さんと染谷さんはバンダナ、二戸さんはヘルメット、おいらは帽子と、思い思いのカッコで11時15分出発。今日は秋晴れ。空が高く青い。周囲の山は既に紅葉している。駐車場を出るとすぐ湿原で木道。天気が良いので人が多く、狭い木道だから、しばしば立ち止まって人をやり過ごす。花は半分枯れかかったリンドウぐらいしか見えなかった。浄土平を出ると緩やかな登り。やがて鎌沼が見えてくる。12時10分、松島さんが当然のように木道の一角を占領して昼飯にすると言った。鎌沼を正面にして景色も良く、木道で、しかも他の登山者の邪魔にならない場所だ。ここまで計算にいれて計画を立てていたのか、と口には出さなかったが内心大いに感心した。
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紅葉が始まっている
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鎌沼のあたりも色づきはじめて
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鎌沼は鎌のような形をしていて、水がとてもきれいだ。染谷さんが配ってくれた梨は、水気が多く甘くてうまい。自分で皮をむかないですむから、なお嬉しい(これも口には出さなかったけど)。
昼飯は15分で終了。また歩き出す。鎌沼を右手に見ながら周囲をぐるりと回り、酸ヶ平に出る。トイレつきの避難小屋がある。12時50分着、13時出発。ここから一切経山への登りになる。おいらは先頭を行く松島さんのすぐ後を歩いた。松島さんはゆっくり歩いているように見えるのに、意外に早い。うっかりすると置いて行かれる。どういうことだ?これは今回の山行でずっと感じていたのだが、松島さんは忍者なのか?
振り返ると鎌沼は見えなくなり吾妻小富士のお釜がはっきりと見える。一切経山の頂上に13時30分着。頂上からは下に五色沼が見える。五色沼も水がきれいだ。沼の周囲の斜面は紅葉している。赤、黄、橙、緑・・・。空は高く青いし、五色沼は緑がかった青で、これもきれい。来て良かったなあ。証拠写真を撮り、景色を見ながら暫し休憩。ここから吾妻慶応山荘(以下慶応山荘という)まではずっと下りだ。13時45分出発。五色沼を眼下に見ながらの下りは、岩が風化して、あたり一面小さな砂利をばらまいたような道。下手をすると転がり落ちそう。「嫌だな」と言いながら慎重に下る。
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五色沼が神秘的
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慶応小屋の管理人の大柿さんと
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やがて眼下に見えていた五色沼とも分かれ、家形山に行く分岐点を過ぎ、灌木に覆われたぬかるんだ道を下る。このあたりのリンドウは枯れていない。一時間近く下ると、慶応山荘への分岐に出る。分岐には「コーヒーの準備が出来ている」という標識があった。慶応山荘にはそこから5分ほどで、15時20分到着。
おいらは慶応山荘には昭和37年に行ったことがあるのだが(あずまスカイラインなんてなかったし、茫々たる昔だなあ)、建物は違う。周囲の様子も当時とは全然違う。後で聞いたところによると、昔の慶応山荘は火事で燃えてしまい、これは場所も変えて、昭和43年に建て直したとのこと。
小屋番の大柿さんは面倒見の良い人で、直ぐに沢の水で冷やしたビールを振舞ってくれた。松島さんと親しいからだろうけど、担ぎあげる苦労を考えたら申し訳ない!!こういう時のビールは最高だが、大柿さんは全然飲めないらしい。そして、ビールのつまみに、大柿さん手製の「カツオのづけ」が出てきた。え?山で海の魚!!それもニンニクが効いていて実に美味い。これには驚いた。
ビールを飲んだ後は、焼酎やら日本酒やらで大いに盛り上がり、同宿の2人の登山者や大柿さんも加わって話に花が咲き、歌まで出る始末。大柿さんが出してくれた晩飯は無国籍鍋。鶏がらスープがベースで、塩とナンプラで味付けしているとのこと。山小屋なのに野菜もたっぷり肉はシカ肉。美味い美味いと食べたら、それだけで腹いっぱい。ご飯は食べられない。おいらはせっかく減量したのに、食いバテて元に戻った予感がする。
こうやってワイワイ言っていても、下界のことは気になる。白鵬と逸ノ城の一戦はどうなったなどと言っているうちに、御嶽山が爆発したという情報が入り、一同ビックリ。
それにしても山遊会は良く飲むな。忍者の松島さんは黙ってグラスを空ける、「あまり飲めない」と言っていた染谷さんもいつの間にかグラスを空けている。「え?」というほど濃い焼酎を平気で飲んでいた二戸さんは、テーブルにもたれてウトウト、グラリと椅子から落ちそうになった。倒れなかったけど、どうせならヘルメットのままの方が安全かもしれないと思ったね。
賑やかにやっていたけど、早めに始めたから、終わるのも早い。19時に就寝。おいらは何故か不眠症にかかったみたいで、なかなか眠れなかった。
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高湯温泉への単調な下り
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翌27日は6時起床。モーニングコーヒーを飲んでいたら、何とサンマの塩焼きが出てきた。サンマは燻製にしたものを焼いている。イギリスではニシンの燻製を朝飯時に焼いて食べることがあり、おいらはそれが好きなんだけど、それよりもあっさりしていて美味い。サラダやキュウリの漬物、シソ巻き(これも自分で作ったと言うから驚き。手間かかるのになあ)、そして、カレーが良い人はカレーもあるよと言われ、おいらはカレーを二杯も食べてしまった。これもスパイスが効いていて美味かったんだ。
一晩をお世話になった慶応山荘を07時55分に出発。樹林帯を下る道はところどころぬかるんでいる。これをテクテクと下りる。湯の平、賽ノ河原を通過。やがて、山道は二か所でスカイラインと交差する。車が多いので、キョロキョロしながら渡る。そして、10時20分に吾妻高湯の静心山荘に到着。大柿さんは、花月ハイランドホテルを勧めてくれたんだけど、分岐点を見逃したようだ。でも、おいらは静心山荘の湯も良いと思ったよ。
風呂から出て、ビールを飲み、蕎麦を食べ、タクシーを呼んで福島駅に着いた。駅前でワイン祭りをやっていたので、ちょっと覗いたが、値段は高いし、「何だ、これは?」と文句タラタラ。帰ろうということになり、駅で解散。3人は東京方面、おいらは山形に戻ることにして、握手して解散。
忍者の松島リーダー、ヘルメットオジさんの二戸さん、減量しなくて良いのがうらやましい染谷さん、皆さんお世話になりました。そして、何より、我々を笑って迎えてくれた吾妻の山々よ有難う。また会おう!!
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