せんじょうさん

船上山「616m」は鳥取県中部のやや西南、琴浦町にあり、中国地方随一の名峰・大山から北東へ続く尾根の末端に位置しています。
古くから山岳仏教による修験道の山として栄えていましたが、この山に登り、また語るなら、700年近く前にこの山で繰り広げられた、戦国時代の一大絵巻を知らないわけにはいきません。ところがその歴史を示す事物は、今では大部分が自然の中に埋もれていて、そのためかえって伝説やナゾも多く、ロマンをかき立てています。

   
1. 鱒返しノ滝「ますがえしのたき」付近での川遊び   2. ライフジャケットを着て川遊び   3. 川のなかへザブン
   
4. 滝もあるぞ   5. 屏風岩「びょうぶいわ」でのロッククライミング   6. 岩にはりつかないように
   
7. 懸垂下降だってこのとおり   8. 十分安全確保して   9. 船上山がそのまま教室、少年自然の家

1〜4 山川木地集落の先から県道34号線を南へ約1.5kmのところに探勝道の入口があり、滝を正面から眺める展望台もあります。だが、これとは別に川伝いに滝まで行くことも出来、滝を眺めるより付近での川遊び、水遊びの方が、子どもたちには人気があります。

5〜8 屏風岩頂上やや下の東側に、その名のとおり横に広く立ちはだかっていて、一部は1985年の「わかとり国体」の際、山岳競技の登攀会場として使用されました。近年は一部の子ども向けのロッククライミング練習の場としても利用されるようになりましたが、十分な指導態勢と安全確保のもとに行なわれるべきで、安易に取り付いては危険です。

9 船上山を学びの場とした青少年のための社会教育施設として、1977年、登山口近くに「鳥取県立船上山少年自然の家」が開設され、年間を通じて登山、ハイキングをはじめとするいろいろな活動の指導や、十数回におよぶ主催事業も行なわれています。利用に年齢の制限はなく、安く宿泊も出来るため、何の予備知識もなく初めて訪れるなら、ここに入所するのが一番手っ取り早いと言えます。ただし公立の教育施設ですから、いつでも飛び込みで利用するというわけにはいかず、原則として1カ月前くらいにまず電話で申し込んで日程を調整。希望する活動内容について話し合って予約し、所定の書類を2週間前までに郵送しなければなりません。また規則上は5人以上の親子やグループの入所が可能となっていますが、指導員配置などの都合からなるべく親子会、子ども会のような団体での利用を希望しています。
連絡先は〒689-2525 鳥取県東伯郡琴浦町山川807の2 鳥取県立船上山少年自然の家
Tel.0858-55-7111 Fax.0858-55-7119
Eメール senjyozan_syounen@pref.tottori.jp
(写真はいずれも鳥取県立船上山少年自然の家提供)

最も一般的な東坂ルートは、特に危険な箇所はないですが、雨の後などは非常に滑りやすくなります。そのほかの西坂ルート、正面ルート、横手道などはあまり手が加えられていないので、初めての親子連れには向かず、悪天ならやめた方が賢明です。
登山口にはトイレや季節・時間限定の食堂兼売店「船上山さくらの里」がありますが、山中に入ると船上山休憩舎「トイレ、水場あり」のほかには何もありませんからそのつもりで。
由緒正しき自然と歴史の山ですから、保護のためいろいろな規制があります。まず頂上の一帯は国の史跡に指定されており、山全体がすっぽり「大山隠岐国立公園」の中に入っています。また水源涵養のための保安林でもあり、大部分が国・県・町「財産区」などの土地です。当然のことながら現状を護るよう最大の努力を払うべきで、火気にも要注意です。
アクセス JR山陰本線赤碕駅→琴浦町営バス船上山線「少年自然の家」または「船上山」下車、約25分。それから登山口「駐車場あり」まではわずか。赤碕駅前にはタクシーもあります。
コース 登山口 → 茶園原 → 東坂ルート入口 → 船上山行宮碑・休憩舎 →
船上神社往復 → 登山口。車なら茶園原を省略して、県道34号線を東坂ルート入口まで行くことも出来ます。
屏風岩を目近に眺めたければ、東坂ルートの途中から「横手道」と称する枝道があり、屏風岩の下をほぼ水平に探勝道が千丈滝「雌滝・雄滝」まで続いています。
親子
コースタイム
登り「船上神社まで」約1時間30分 下り約1時間 
合計 約2時間30分、休憩含まず。東坂ルート入口まで車で入った場合は、約30分短縮出来ます。
交通 ●電車利用
1.赤碕駅は快速列車は止まるが、特急は停車しません。
2.赤碕駅からの定期バスは1日7本(土日祝は6本)=2013年現在

●車利用
山陰自動車道を琴浦船上山ICで降り、県道289線を南へ約11kmで登山口。普通車ならさらに山川木地集落の先から県道34号線を東坂ルート入口まで入れ、駐車スペースもあります。(約20台)

3年半の政権「建武の中興」

いまではあまり使われない歴史用語ですが、この発祥の地がまさに船上山です。北条氏により隠岐へ流されていた後醍醐天皇が、この地の豪族に迎えられてこの山に立てこもり、幕府軍に勝利。鎌倉時代から室町時代へと移る歴史の転換点となりました。年号も「元弘」から「建武」へと改められました。わずか3年半ですが、この山の上に「みやこ」が存在したことは、地元にとっては大きな誇りといえます。

船上山の頂上はどこだろう

尾根の末端で独立峰ではないため、ここが頂上だと特定するのは困難です。地形図上の最高所は船上神社近くのブナ林の中ですが、およそ頂上という雰囲気ではありません。この山の標高とされている615.4m(三角点)も実は最高点ではなく、標石は行宮碑の北のササ原の中にあり、行宮碑の方が明らかに高く見えます。したがって地元では高さにこだわらず、行宮碑から船上神社にかけての平原一帯を広く「頂上」と呼んでいます。

海から遠いのに「船上」?

山名の起源については伝説も含めていろいろな説がありますが、まだ定説というほどのものはありません。しかし海から10数キロも離れた山に「船」というのはどう考えてもおかしいし、別段山が船の形をしているわけでもありません。今のところ一番それらしいのは「千丈」の当て字説で、もとは険しく切り立った岩山の意味。この山の奥にある有名な2本の滝(雄滝・雌滝)も、「船上滝」ではなく「千丈滝」と呼ばれています。

元弘の乱(1331年(元弘元年))で隠岐島に流された後醍醐天皇は、翌年隠岐から脱出し、船上山で挙兵します。さて、後醍醐天皇を地元で迎え、船上山に立てこもった豪族の名は?

1. 楠木正成

2. 北畠親房

3. 名和長年

伯耆国で海運業を営んでいた豪族の名和長年は、隠岐島を脱出してきた醍醐天皇を迎え、船上山の戦い(1333年(元弘3年、正慶2年))で幕府軍に勝利。鎌倉幕府を滅亡に追いやります。名和長年は天皇近侍の武士となり、京都の左京の市司である東市正に任じられます。しかし1336年(延元元年、建武3年)の湊川の戦いの後に足利尊氏に敗れ、討死します。

船上山、大山とともに「伯耆の三大霊場」と呼ばれたもう一つの修験道の山は?

1. 蒜山

2. 打吹山

3. 三徳山

三徳山(900m)は鳥取県のほぼ中央ある山で、三徳山三仏寺の境内になっています。三徳山三仏寺は天台宗の古刹で、寺伝によると、706年(慶雲3年)役小角が修験の行場にしたといわれています。中腹の絶壁の窪みに浮かぶように建つ国宝・投入堂が有名ですが、どうやって建てたのか、いまも謎のままだそうです。

船上山情報

鳥取県立船上山少年自然の家
〒689-2525 鳥取県東伯郡琴浦町山川807-2
Tel. 0858-55-7111 Fax. 0858-55-7558
E-mail : senjyozan_syounen@pref.tottori.jp

 

琴浦町観光協会
〒689-2501 鳥取県東伯郡琴浦町赤碕1140-1
Tel. 0858-55-7811 Fax. 0858-55-7558
E-mail : kankou-kyoukai@town.kotoura.tottori.jp

 

お問合わせ

日本山岳会 山陰支部 Tel. 0859-22-6393

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