ひがしほうべんざん

東鳳翩山(ひがしほうべんざん)は山口県山口市と萩市にまたがった山です。いま東鳳翩山と西鳳翩山がありますが、むかしは東鳳翩山は「こしきか獄」、西鳳翩山は「方便山」と呼ばれていました。
「方便」が「鳳翩」となったのは、周防生まれの儒学者、片山鳳翩からとったものとされています。頂上は360 度のパノラマで、天気のいい日は九州の山々も望めます。
おもな登山ルートは、山口市側の一ノ坂ダム上流の二ッ堂からのルートと、「21 世紀の森」からのルートです。二ッ堂からのルートは1時間半程度で登ることができ、ファミリーコースとして人気があります。また、西鳳翩山へも道が整備され、尾根沿いに縦走することができます。
「21世紀の森コース」の登山口である板堂峠には「国境の碑」があります。長門国(いまの山口県西部)と周防国(いまの山口県東部)の国境を示しています。この道は「萩往還」と呼ばれ、ここが最も険しい峠でした。

●東鳳翩山山頂
山頂から西鳳翩山へ5分ほど下ると見通しのよい広い広場があり、長椅子テーブルがあり、休憩場所に適している。

●板堂峠(いたどうとうげ)
峠登山口から車道を下り、すぐに「萩往還」の道に入り、途中「キンチヂミの清水」「一貫石」「六軒茶屋跡」などの史跡が続く、散策ができる。

   
一の坂運動公園駐車場には、広い駐車場があり、トイレもある   二ッ堂登山口には、10台程度の駐車場がある。最初は急な登りで始まる   ナマナマコース分岐は、下れば錦鶏の滝がある
   
山頂は見晴らしも良く、遠くは日本海、視界が良ければ九州の山も見える   山頂から西鳳翩山方面へ5分下ると肩の広場となり、休憩も可能(ベンチ、長椅子あり)   国境の碑
     
下山後も国道沿いに萩往還の道が途中あり、歴史の探索ができる   国道262号線    
登山道は整備管理されおり、登り下りに支障する箇所はない。ただし、秋の季節にはマムシも出てくるので、注意しながら歩くとよい。
アクセス 二ッ堂登山コースは、山口県庁前を走る国道9号線を山口県庁前から北に(益田方面)500m進むと上堅小路交差点に出るので左折する。県道62号(山口旭)線で萩市(旧旭村)日南瀬で国道262号線と合流する。交差点から300m先の瑠璃光寺を左手に見る三又路(木田橋)では直進、さらに400m進むと天花橋の三又路に出るので直角に右折すると、この車道は天花ダムの堰堤左岸を経て山口市天下畑地区に至る。県道を進むと錦鶏湖を左手に見て、上天花町を左折し、一ノ坂運動公園に到着する。車を駐車してから登山口まで歩いて15分。

21世紀の森コースは、同じ県道262号線をさらに直進し、いくつもの曲りの登りを経て板堂峠(標高576m)となり、右手に駐車場が見えてくる。県道を挟んで登山口が目の前にある。

【駐車場】
二ッ堂登山コースは、運動公園入口と公園内に駐車場がある。また、登山道入り口には10台程度駐車が可能。

21世紀の森コースは、登山口入口の反対側に駐車場がある。

【トイレの利用できる箇所】
二ッ堂登山コースのみ、運動公園内にある。

21世紀の森コースにはトイレがない。一ノ坂運動公園駐車場のトイレを利用して登山口に向かうとよい。

【注意事項】
クマに注意、秋にはマムシも出るため、シーズンによっては注意しながらの登山が必要。
コース 【東鳳翩山二ッ堂コース】
一ノ坂運動公園駐車場(15分) → 二ッ堂登山口(40分) → ナマナマコース分岐(25分) → 二ッ堂分岐(20分) → 東鳳翩山山頂
※歩程:片道約3km、片道約100分(休憩・昼食タイムを除く)

【東鳳翩山21世紀の森コース】
板堂峠登山口(30分) → ショウゲン山分かれ(50分) → 二ッ堂分かれ(20分) → 東鳳翩山山頂
歩程:片道約3km、片道約100分(休憩・昼食タイムを除く)

重要な歴史の道「萩往還」

県道262号線はかつて歴史の道「萩往還」といわれていました。「往還」とは、主要な道路や街道のことです。長州藩が1604年(慶長9年)に江戸への参勤交代のために開きました。日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)を結ぶ全長約53㎞の道で、山陰と山陽を結ぶ道としても重要な道でした。幕末には、吉田松陰はじめ、討幕運動の志士たちが往来した道でもあり、ルート上には、「唐樋札場跡」「松蔭記念館」「一貫石」「六軒茶屋跡」など多くの史跡があります。「歴史の道百選」や「日本風景街道」に登録されています。

鳳翩山の北は長門国、南は周防国

東西の鳳翩山は、日本海と瀬戸内海の分水嶺になっています。降った雨が、山頂から南は瀬戸内海に、北は日本海に流れるのです。江戸時代には周防国と長門国の国境でもありました。しかし、どちらも毛利氏を藩主とする長州藩で、藩庁が長く萩城(萩市)に置かれていました。そのため萩藩とも呼ばれていましたが、幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移り、周防山口藩と呼ばれるようになりました。山口県という名称は、ここからきたものです。

東鳳翩山のハイキングルートに「坑道(狸堀り)跡地」という所があります。さて、狸堀りとは何のことでしょう。

1. 夜中に掘った坑道

2. タヌキの穴のような坑道

トンネルに支えなどをせず、無計画に採掘する小規模な採鉱法です。結果的にタヌキの棲家(すみか)のように入り組んだ坑道となったものです。英語ではタヌキではなく、ホリネズミ(gophering)やコヨーテ(coyoting)です。

3. 掘った土を外に出さない堀り方

東鳳翩山の南には「大内氏遺跡凌雲寺跡」(おおうちしいせきりょううんじあと)があります。戦国大名大内氏の菩提寺であった凌雲寺の遺跡です。さてどういう特徴をもっているでしょうか。

1. 朝鮮半島の城の石垣に似ている。

朝鮮半島の城や沖縄の城(グスク)の石垣と作り方が同じです。日本の城の多くはオモテ面に石を積み、ウラ面は土手になっていますが、この石垣は両面に大きな石が積み、中を小石で埋める構造です。このことから、大内氏が朝鮮半島等と交流していた影響がうかがえます。また、その規模から寺院だけではなく、城としても使えるようになっていたと考えられています。国の史跡です。

2. 比叡山山麓にいた石工が作った。

3. 縄文時代の石垣を利用している。

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