AGC |
AGC VOL1 |
一等三角点 相模野基線を尋ねる |
2001年5月26日 |
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AGC第1回フィールドワークとして、地形図作成の基礎である、三角測量の原点とも言える相模野基線を訪ねた。
先ず基線から得られる最初の三角点、高尾山(点名:長津田村)から基線南端(点名:座間村)、中間点、北端点(点名:下溝村)、そして基線から得られるもう一方の鳶尾山と5ヶ所をまわり、それぞれの三角点の方位、寸法、位置(GPS計測)を確認した。 |
相模野基線場 概略図(クリックすると拡大します |
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以下、その報告である(近藤 記)
1、 高尾山(点名:長津田村)横浜市緑区長津田町、飯綱神社前
横浜市、町田市、大和市の境界が接する、東京工業大学裏の小高い岡に飯綱神社(高尾様)の祠があり、この前のベンチの横に三角点がある。ここが相模野基線を底辺とする東側の三角点の頂点にあたり、なるほど見晴らしの良いところだ。当時、明治15年(1882年)頃はおそらく何も遮るものが無く、西側の鳶尾山もさぞかし良く見えたことだろう。生憎の曇天で鳶尾山、丹沢方面は霞んで見えなかった。
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飯綱神社(高尾様)前 |
三角点より鳶尾山方面を望む |
Data:01 |
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観測日: |
2001/5/26 |
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山地名: |
高尾山 |
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点名: |
長津田村 |
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等級: |
一等本点 |
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GPS位置: |
N35°30′31.7″ E139°29′11.7″ |
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標高: |
100.46m |
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標石の方位: |
E3° |
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標石の寸法: |
18cm×18cm |
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保存状態: |
良好 |
H3.7.30更新 |
該当地形図: |
原町田(東京11号-2) |
西偏6°50′ |
備考: |
横浜市緑区 |
鶴見川と境川の
分水嶺上 |
2、 基線南端(点名:座間村)座間市ひばりが丘1−5543−1(鳥羽内科敷地内)
南林間駅より西にまっすぐ歩き、なんとなく坂を登りきったところのスーパー横、内科医院の玄関の階段下の敷地内にある。当然北端も、高尾山も鳶尾山も望めるべくもないが、僅かに稜線上にあることが感じられ、往時の様子を想像してみるが、何の手掛かりもなく、ただ三角点があることが唯一であった。
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内科医院の玄関先 |
基線南端三角点 |
Data:02 |
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観測日: |
2001/5/26 |
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山地名: |
相模野基線南端 |
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点名: |
座間村 |
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等級: |
一等基点 |
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GPS位置: |
N35°29′11.6″ E139°26′12.5″ |
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標高: |
74.86m |
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標石の方位: |
W4° |
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標石の寸法: |
18cm×18cm |
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保存状態: |
良好 |
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該当地形図: |
座間(東京12号-1) |
西偏7°0′ |
備考: |
座間市ひばりが丘1-5543-1 |
境川と相模川の
分水嶺上 |
3、 基線中間点 座間市相模が丘2−17 路上
基線南端より北へ向い、辰街道の西側の水道路のはずれ、小田急踏切手前の路上に緑色のマンホール状の蓋の中にある。すぐ近くに基線を説明した案内板が建てられていたが、これによると、中間点はもうひとつ別にあるらしい。どうして中間点が必要なのか、調べる課題がまた一つ増え、三角点調査の奥深さを感じる。(中間点の役割についてはその後解明、参考資料3をごらんください)7/6追記
Data:03 |
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観測日: |
2001/5/26 |
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山地名: |
相模野基線中間点 |
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点名: |
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等級: |
四等 |
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GPS位置: |
N35°30′27.5″ E139°25′23.9″ |
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標高: |
84.8m |
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標石の方位: |
.E3° |
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標石の寸法: |
15cm×15cm |
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保存状態: |
良好(泥まみれ) |
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該当地形図: |
原町田(東京11号-2) |
西偏6°50′ |
備考: |
相模原市相模が丘2-17 |
境川と相模川の
分水嶺上 |
4、 基線北端(点名:下溝村)相模原市麻溝台4−2099 麻溝中学、西側
つい最近まで、一面の桑畑だったそうだが、工場や倉庫の立ち並ぶ、殺伐とした場所の一角に、きちんと整備されて、保護石も整っており、説明板もわかりやすい。
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基線北端 |
基線北端三角点 |
解説板より
所在地 相模原市麻溝台4丁目2099番
相模野基線北端点は、明治15(1882)年に陸軍参謀本部測量課(後の陸軍測量部、現在の建設省国土地理院)が地形図全国整備計画に基づき、近代測量の最初の基点である相模野基線を設けるにあたり、同基線北端である当地の高座郡下溝村に設置したものです。
相模野基線は、北端点と当時の高座郡座間入谷村に設置された南端点(座間市ひばりが丘1丁目)とを結んだ直線のことをいいます。
明治15年3月から準備作業が進められ、同年9〜10月にかけて両端点間の実測測量が行われ、その基線の全長距離5209.9697mが算出されました(相模野基線略図参照)
そして、この成果をもとに翌16年4月から三角測量が開始され、「相模野基線網略図」のように順次(@〜B)、基線を拡大することにより一等三角網(平均距離40Kmごとに設置されている一等三角点により形作られている。)が形成され、より大きな三角網の基線となる丹沢山と鹿野山(B)の間の距離が算出されました。
その後,三角測量は順次全国へと進められ、それに基いて作成された地形図は途中、縮尺の変更等がありましたが、大正14年には全国の5万分の1地形図として完成しました。
建設省国土地理院監修 平成2年3月 相模原市教育委員会 |
Data:04 |
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観測日: |
2001/5/26 |
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山地名: |
相模野基線北端点 |
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点名: |
下溝村 |
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等級: |
一等基点 |
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GPS位置: |
.N 35°31′40.7″
E 139°24′32.1″ |
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標高: |
97.11m |
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標石の方位: |
E5° |
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標石の寸法: |
18cm×18cm |
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保存状態: |
良好 保護石完 |
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該当地形図: |
原町田(東京11号-2) |
西偏6°50′ |
備考: |
相模原市麻溝台4-2099 |
境川と相模川の
分水嶺上 |
5、鳶尾山(点名:鳶尾山)旧上溝村、愛甲郡愛川町中津、中津小学校横、路上
三角点名は鳶尾山となっているので、厚木市下荻野にある鳶尾山山頂にあるのかと思いきや、実際は、中津川と相模川にはさまれた、中津工業団地の一角、中津小学校横の道路上に、4つの保護石にかこまれて、しっかりと存在していた。車の通行に邪魔になりそうだが、公園と校庭への袋小路になっているので、さして往来はなさそうだ。地元の小学生に存在を聞いてみたが、知らないという。こんなに身近なところに貴重な資料があるのに、学校では教えないのであろうか?もはや三角点は過去の遺物で、物好きの対象でしかないのか…いささか寂しい思いをした、実地調査の最終地点であった。ここからは本来の鳶尾山がよく望め、さらにその奥に、いよいよ真の三角点である丹沢山が控えている。 (下記追記)
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中津小学校路地 |
鳶尾山三角点 |
Data:05 |
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観測日: |
2001/5/26 |
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山地名: |
相模野基線網 |
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点名: |
鳶尾山 |
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等級: |
一等本点 |
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GPS位置: |
N 35°30′30.2″
E 139°20′15.2″ |
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標高: |
92.49m |
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標石の方位: |
W2° |
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標石の寸法: |
18cm×18cm |
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保存状態: |
良好 保護石完 |
<点の記>S59/10/15更新 愛川町立中津小学校グランド、H8/7/2柱石交換 |
該当地形図: |
上溝(東京11号-4) |
西偏7°0′ |
備考: |
愛川町中津 |
相模川と中津川間の台地 |
追記(2016) 一等三角点「鳶尾山」は本来の鳶尾山に移動されています
行程記録
2001年5月26日
東急田園都市線・すずかけ台(10:00集合)…(徒歩)…三角点(高尾山)…(徒歩)…南町田〓(小田急)〓南林間…(徒歩)…基線南端…(徒歩)…基線中間点…小田急相模原=(バス)=基線北端=(バス)=小田急相模原〓(小田急)〓本厚木=(バス)=六本松…三角点(鳶尾山)…六本松=(バス)=本厚木、解散20:00
参加者:
北野忠彦、片野すみ子、川村トシ子、近藤善則、奈良千佐子、半田由美子、松本好正、(以上7名)
参考資料1:一等三角点とは
参考資料3:中間点の役割(2001/7/6)
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