ぼうがつる
坊ガツルは九重連山(くじゅうれんざん)のほぼ真ん中にある湿原(しつげん:しめっぽい草原)で、高い山々に囲まれた広い盆地のような原っぱにはたくさんの貴重な植物が自生しています。四季を通してキャンプする人が絶えず、九州の山のオアシスと呼ばれています。坊ガツルへ行くにはいくつかの道がありますが、長者原(ちょうじゃばる)から登る2つの道が一番一般的で登りやすく、楽しいコースです。
タデ原湿原の中の木道を行く | タデ原湿原で見かけたヒゴタイ | 広いタデ原湿原 | ||
長者原の登山口 | 雨ヶ池越の木道 | 草ボケの実 | ||
広い草原状の坊ガツル | 法華院温泉から広い北千里の砂の河原に登りついて振り向くと猿岩があるよ(分かるかな?) | 長者原が見えてきた |
登山口の長者原は飯田高原(はんだこうげん)の奥にあり、九重連山の表玄関口です。九重連山に登る人や高原を散策する人などで一年中賑わっています。長者原にはタデ原湿原があり、貴重な植物がたくさんあります。坊ガツルに行くには、このタデ原湿原の端を横切って雨ヶ池(あまがいけ)を越える道と、すがもり越を通る道がありますので、この2つの道を使って一周すると楽しいハイキングコースとなります。
山頂一帯を彩るのが、初夏に咲く国指定天然記念物のミヤマキリシマです。その鮮やかな景観には、一見の価値があります。 |
アクセス | JR豊後中村駅 → (日田バス) → 九重登山口バス停 または別府駅 → (亀の井バスまたは九州横断バス) → 由布院駅経由 → 九重登山口バス停 |
コース | 九重登山口バス停・長者原 → タデ原湿原 → 雨ヶ池越 → 坊ガツル → 法華院温泉 → すがもり越 → 砂防ダム → 九重登山口バス停・長者原(またはこの逆コースでもよい) |
親子 コースタイム |
長者原 → (1時間30分) → 雨ヶ池越 →(1時間)→ 坊ガツル →(20分)→ 法華院温泉 →(50分)→ すがもり越 →(50分)→ 砂防ダム →(30分)→ 長者原(5時間・休憩時間を含まず) (逆コース)長者原 →(30分)→ 砂防ダム →(60分)→ すがもり越 →(40分)→ 法華院温泉 →(15分)→ 坊ガツル →(1時間20分)→ 雨ヶ池越 →(1時間20分)→ 長者原(5時間・休憩時間を含まず) |
交通 | ●バスの利用 1. 日田バスで豊後中村駅から1日7便(土曜・日祝日6便)です 2. 亀の井バスで別府駅から1日2便です 3. 九州横断バスで別府駅から1日2便、由布院駅から4便です ●車利用 長者原駐車場(無料)が利用できます |
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坊ガツルとタデ原湿原とラムサール条約
坊ガツルとタデ原湿原は2005年(平成17年)にラムサール条約に登録されました。この条約は1971年(昭和46年)にイランのラムサールで開催された「湿地及び水鳥の保全のための国際会議」において「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が採択されました。この条約は開催地にちなみ、一般に「ラムサール条約」と呼ばれています。この条約は、国際的に重要な湿地を登録することで、そこに生息・生育する動植物を守るとともに、湿地の保全及び賢明な利用促進を定めています。坊ガツルと九重の山をテーマにした「坊がつる讃歌」は多くの人たちに歌い親しまれています。
九州で最も高い法華院温泉山荘
九州では一番高いところ(海抜1303m)にある温泉宿です。この温泉は、もとは法華院白水寺というお寺です。今から800年ほど前の鎌倉時代(1324年)に天台宗のお寺として開かれたという記録が残っています。明治時代に登山者のための宿となり、九州を代表する山の温泉宿として、たくさんの登山者に親しまれています。宿のご主人はお寺の26代目の院主(お坊さん)です。
九重山(くじゅうさん)と久住山(くじゅうさん)
二つの漢字で書かれる「くじゅうさん」どう違うのでしょう? 九重山は長者原付近を中心に東西約15km、南北約10kmにわたって連なる山々の総称で、九重連山ともよばれています。一方久住山はその九重連山のほぼ真ん中あたりにある峰の頂上のことで、標高1786.5mあります。ずっと前までは九重山の最高峰で九州本土の最高峰と言われていましたが、実際の最高峰はその東にある中岳(1791m)です。長者原登山口にあるビジターセンターでは、九重の山と自然についてたくさんのことが紹介されています。
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映画にもなった九重山のガイド犬。登山者を道案内したり遭難者を救助したことで、多くの人に親しまれていました。さて、山名からつけられた、この犬の名前は?
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平治(へいじ)は「山のガイド犬」として、14年にわたって九重山にくる登山客とともに山に登り、時に遭難者を救助したことで知られています。元は捨て犬でしたが、切符売り場に勤める荏隈保(えのくま・たもつ)さんによって保護され、自ら登山者のガイドをするようになりました。しかし荏隈さんと行動を共にすることはなく、単独で登山者に付き添ったために詳細は明らかではありません。ただ、現地にあった「平治ノート」には多くの登山者によるメッセージが書かれ、登山者たちが竹筒に入れたお金で平治の鑑札や予防注射などの費用が賄われたといいます。1988年(昭和63年)、平治が死んだときには100名余りが集まって追悼式が営まれ、九重町長が弔辞を述べたそうです。
九重山一帯と阿蘇一帯は同じ国立公園です。何という表記が正しいでしょうか。
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九重山白水寺と久住山猪鹿寺があったことで、山の北麓に九重町(ここのえまち)、南麓に久住町(くじゅうまち、現・竹田市久住町)ができました。そのため「阿蘇国立公園」にこの地域を加えたときには、ひらがなで「阿蘇くじゅう国立公園」とし、また、坊ガツル・タデ原のラムサール条約への登録名も「くじゅう坊ガツル・タデ原湿原」と、ひらがなにしました。
長者原情報 |
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