うつくしがはら
美ヶ原は日本で最も広く高い高原です。高原上は牧場になっていて、春から秋にかけて、牛や馬が放牧されています。また、日本のほぼ真ん中にある長野県の、さらに中心に位置しているので、晴れた日には北、南、中央の日本アルプスをはじめ富士山や八ヶ岳や御嶽、乗鞍、浅間、妙高などの山々が360度ぐるりと見渡せます。また、車で簡単に高原上まで登ることも出来、野外彫刻を展示する美ヶ原高原美術館などもあります。
親子で楽しむ山登りとしては、松本市側の中腹にある牧場から、高原上まで歩いて登りますが、難しい所や危険な箇所はほとんどありません。また、初夏のレンゲツツジをはじめ高山植物も豊富です。三城にはキャンプ施設も整っているので、親子キャンプの一環として山登りが楽しめます。
イワシモツケ | カワラナデシコ | ハクサンフウロ | ||
ウスユキソウ | ウスユキソウ | テガタチドリ | ||
マルバダケブキ | タテヤマウツボグサ |
アクセス | ●自家用車の場合 長野自動車道松本ICから25km、約50分。 駐車場 三城いこいの広場前の公衆トイレのある駐車場の脇を少し下った所に日帰り登山者専用の駐車場があります。 ●バスの場合 アルピコ交通・美ヶ原高原美術館線で三城荘前で下車。運行は夏季のみで運転日注意。 アルピコ交通(松本電鉄) Tel.0263-32-0910 |
コース | 三城 → ダテ河原 → 王ヶ頭(王ヶ鼻往復) → 美しの塔 → 塩くれ場 → 百曲り → 広小場 → 三城 子どもの様子や進行状況を見ながら、場合によっては王ヶ鼻往復を割愛する。 |
親子 コースタイム |
三城いこいの広場 (15分) ダテ河原登山口(2時間30分)王ヶ頭(30分 )王ヶ鼻(30分)王ケ頭(50分)美しの塔(10分)塩くれ場(1時間30分)広小場(45分)三城いこいの広場 合計 7時間 [トイレ] 公衆トイレ。美しの塔の南西、塩くれ場の南に無料の公衆トイレがあります。水道はありますが、水はたいがい出ません。トイレの処理方法はバイオR21方式といって微生物によりし尿を有機肥料化するものです。 ただし、大気の状態が不安定で落雷の恐れがある時期には使用出来ない場合もあります。その場合は周辺の山小屋のトイレを借りることになりますが、基本的には有料(100円)です。 |
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電波塔
美ヶ原の山頂、王ケ頭には沢山の巨大アンテナが立っています。これは、山間地の多い長野県でテレビやラジオを聴きやすくするために建てられたものですが、日本のほぼ真ん中で遮るもののない立地から、放送局の電波発信施設ばかりでなく、国土交通省や警察、電力会社、鉄道、電話会社、防災行政無線など様々な電波の中継基地も建てられています。
美ヶ原牧場と塩くれ場
美ヶ原山麓には、平安時代から勅旨牧(てしまき)と呼ばれる朝廷直轄の牧場があって、馬が飼われていたと言われています。山麓の山辺地区(松本市)には、それに由来する駒越、厩所などの地名が残されています。現在の美ヶ原高原牧場は明治時代に開設されたもので、毎年5月から10月にかけて放牧が行われています。牛達は自由に草を食べていますが、塩分補給のため定期的に塩を与えています。塩くれ場周辺の平たい岩に塩を盛り牛に舐めさせます。塩くれ場の「くれ」は「与える」とか「やる」の意味です。
美ヶ原の天候と美しの塔
美ヶ原は古い地名でキリハラ(霧原)と呼ばれたように霧の発生が多い場所です。現在では、一部の登山路を除けば、道は明瞭で牧柵もあるため、高原上で迷うことは殆どありませんが、かつては霧で方向を失い遭難する例も多くありました。そこで、1954年(昭和29年)、高原のほぼ真ん中に鐘楼を兼ねた避難施設として造られたのが美しの塔です。建設当時は道路も整備されておらず、資材は人の手によって運ばれ、コンクリート用の水は近くの山本小屋から天秤棒で運んだということです。
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美ヶ原という名は、1724年(享保9年)に完成した「信府統記」という信濃の地誌に載っているのが最初です。さて、そのころ美ヶ原では何をしていましたか?
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平安時代には、すでに朝廷の牧場である勅旨牧(ちょくしまき)があり、馬の育成が行われていました。現在の牧場になったのは1909年(明治42年)に小岩井品三郎が乳牛を放牧したのが始まりで、美ヶ原という呼び名が広まったのは、木暮理太郎が1921年(大正10年)に日本山岳会の『山岳』に登山の記録を載せてからだと言われています。
美ヶ原情報 |
■高原上の山小屋、宿泊施設
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