こうしんざん
日本百名山の皇海山(2143.6m)の前衛峰である鋸十一峰の最初の山が庚申山である。
登山基地は銀山平で、かつて足尾銅山隆盛時に銅の精錬のための木材集積地であったである。登山と共に近代日本の礎であった足尾銅山と、その後の環境破壊といった歴史を学ぶことができる親子学習の絶好の場所でもある。
かじか荘前にある案内板 | 一の鳥居 | 一の鳥居への林道 | ||
山頂付近の見晴台 | 山頂手前の尾根道 | 庚申山荘 | ||
庚申山頂 | 猿田彦神社跡 | 銀山平のキャンプ場 |
登山基地である銀山平には国民宿舎かじか荘やバンガロー、キャンプ場があり親子で宿泊するには丁度良い場所である。かじか荘の玄関前を通り過ぎると林道が二手に分かれ、右に行くと備前楯山登山口を経て赤倉へ抜けることができる。まっすぐ進むとこの先に遮断機があり一般車は通行止めである。この遮断機から林道を約4キロメートル歩くと登山道入り口である一の鳥居に着く。途中に抗夫の滝や天狗の投石などの名所があり、一息つくには丁度良い。
一の鳥居は林道の終点でもある。付近には庚申七滝の景勝地があるが、下山後の楽しみにして先を急ごう。赤い鳥居が登山道入り口で、ここからは水面沢沿いの登山道となり、何度が沢を渡りながら緩やかな樹林帯を登っていく。やがて水流から登山道ははずれ猿田彦神社跡に到着する。登山道入り口からここまでの間に、庚申講の丁石、伝説の鏡岩、夫婦蛙岩、仁王門の岩などの名所旧跡があり、是非立ち止まって往事をしのびながら案内板を読んで欲しい。猿田彦神社から5分ほどで庚申山荘に着く。山荘は無人であるが寝具などが備えられており宿泊や休憩をすることができる。
山荘からがいよいよ本格的な登山道の始まりである。山荘の裏手の岩壁の基部に従ってトラバースぎみに登って行くが、やがてロープ、鎖、梯子に導かれて急登するようになる。一部足下が見づらい場所やロープが古くなっているところもあるので慎重に行動したい。初の門、一の門を過ぎるとお山巡り(岩場巡り)の分岐である。残念ながらお山巡りは現在通行止めになっている。大胎内を過ぎ、更に急登すると熊笹とコメツガの尾根状(1800m付近)となり、緩やかな登りの先が山頂である。三角点のある山頂では展望がないので、山頂から50m先に進むと見晴台に出る。鋸岳から皇海山への稜線、錫ヶ岳、白根山、男体山など日光連山が一望できる
下山路は往路を辿るが、登りで苦労した梯子や鎖場の通過は特に注意したい。
庚申山荘からの頂上への登山道は、岩場やガレ場、木の根を掴んでの急登、梯子、鎖場があり、足下の不安定な場所が多い。保護者の適切なサポートが必要。特に下りは要注意。 |
アクセス | アクセスはマイカー利用がお勧め、コースやコースタイムは前出の通り。 |
親子 コースタイム |
登り:銀山平〜一の鳥居(60分)〜庚申山荘(90分)〜庚申山頂(70分) 下り:庚申山頂〜庚申山荘(60分)〜一の鳥居(60分)〜銀山平(50分) |
交通 | 銀山平へはマイカー利用が便利(駐車可)、わたらせ渓谷鉄道通同駅下車の場合はタクシー利用。 |
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トロッコに乗って足尾銅山を見よう
わたらせ渓谷鉄道の通洞駅のそばには足尾銅山跡があります。江戸時代と明治時代以降に銅を大量に産出して日本一の生産量を誇り、日本の近代化を支えました。しかし排煙や鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質による環境汚染が問題化し、1973年(昭和48年)に閉山しました。現在、観光施設となり、当時を再現した坑道の中をトロッコに乗って見ることができます。
奇岩・怪石が続く山道
江戸時代の著述家である滝沢馬琴が書いた「南総里見八犬伝」には庚申山が登場します。「南総里見八犬伝」とは、安房国里見家の姫と愛犬のあいだにできた8人の剣士を主人公とする98巻におよぶ長編伝奇小説。庚申山では、主人公のひとり犬飼現八が怪猫退治をします。庚申山にある神秘的な奇岩・怪石は江戸時代から有名で、馬琴は見ないで書いたそうです。
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